ちょっとトキヤの心情に変化が…?の回 Aクラスとは雰囲気が違うけど仲良しなSクラスが大好きです(2011.9.20)
「……はぁ」
闇をたたえたコーヒーカップの上に、溜息が一つ落ちて波紋を作る。オムライスを食べようとスプーンに手を伸ばしたところで、それを見ていたレンが髪を掻き上げながら言った。
「イッチー、さっきから溜息ばかりついているね」
「そうそう。なんかあったのか?」
翔がくるくるとフォークにパスタを巻き付けながら尋ねてくる。
午前中からずっとトキヤの頭を占めていたのは、音也のことだった。溜息の原因も、彼以外にはない。とはいえ、それを馬鹿正直に彼らに話したところで解決する問題ではないし、それどころか色々と誤解されて余計にややこしくなる危険性もある。トキヤは黙秘を貫くことにして、顔を上げ、首を横に振った。
「いいえ、何でもありません」
「何でもないって顔してないぜー? なんかあるなら言えよ、俺達同じクラスの仲間じゃん」
そうそう、と翔の言葉に頷くレン。
自分たちのこの間柄を仲間、と称してくれたおかげで、トキヤは幾分か救われたような気分になった。友達、という言葉は馴れ合いのように聞こえて抵抗があった。だから、音也に今まで友達や親友などという言葉を使われるのはあまり好きではなかったのだ――そこまで考えて、トキヤは思わずはっとする。今の音也との関係が、友達でも親友でもないことを思い出してしまったのだ。
「イッチー、さっきから表情がころころ変わって面白いね」
レンが心底おかしがるように喉を鳴らした。トキヤは慌てて表情を引き締め、黄色のオムライスにスプーンを差し入れた、その時だった。
「トーキーヤ!」
突然勢いよく背中を叩かれて、トキヤは思わずスプーンを手放しそうになった。その主に先に気付いたらしい翔が、笑いながらよう、と手を挙げる。次のレンの言葉で、その正体がはっきりと分かった。
「やあ、イッキ。今日も元気だね」
トキヤは恨めしげに振り返る。するとそこには思った通り音也が立っていて、先程のレンの言葉に対し、へへっ、と呑気な笑いを返していた。半ば睨み付けるように彼を見上げ、トキヤが苦言を呈す。
「音也。いきなり背中を叩かないでください」
「ごめんごめん。あのさっ」
軽く謝って、音也がレンと翔に思いがけないことを言う。
「ちょっとトキヤ、借りてってもいい?」
レンと翔が答えるよりも先に、トキヤが口を開いていた。
「ちょっと待ってください。どういうことですか」
「だって、俺達――」
「その先は言わなくてもいいです! だからって、」
そのトキヤの言葉を遮るように、音也がトキヤとレンの間に割って入った。
「いい? トキヤ、借りてっても」
レンと翔はしばらく目をぱちくりさせていたが、やがて戸惑いがちに翔が頷く。
「あ、ああ、別に俺達は構わないけど。ただ昼飯一緒に食べてただけだし……なあ?」
「オレも別に。イッキがそこまで熱心に言うなら、ね」
そう言って、レンが唇の端を吊り上げて笑う。きっと深い意味はないのだろうが、まるで自分たちの今の関係を見透かされたような気分になって、トキヤの心臓が高く跳ねた。
「ありがとう! じゃ、行こうぜ、トキヤ!」
「待ちなさい音也、私は何も言って――」
最後まで言い終わる前に、音也が早足で歩いて行ってしまう。トキヤは大きく溜息をついて、コーヒーとオムライスとサラダの乗ったトレイを持った。自分に選択肢はないらしい。レンと翔の方を振り返ると、翔は煙に巻かれたような顔をして、レンは面白そうににやにやと笑っていた。
「では、すみませんが」
トキヤがそう断ると、翔が笑って軽く手を振った。
「別に気にすんなよ、どうせ俺達教室じゃいつも一緒なんだし」
「イッキがあれだけ情熱的に口説いてくれたんだ、行ってきなよ」
「く、口説かれたわけではありません!」
レンの言葉に深い意味はないと知りながら、トキヤは反射的に言い返してしまった。言った後でしまった、と思ったが後の祭り。驚いた顔をする二人を見ていられなくなって、トキヤは早々にその場を立ち去った。
「まさか図星……?」
その場に残されたレンが、独り言のように呟く。
「……いや、まさか……ね」
「おーいトキヤ、こっちこっち!」
一際目立つ赤い髪を微かに揺らして、音也が大声で手を振っている。頭痛がするのを感じながら、トキヤは仕方なく音也のいる方へと歩いていった。周囲から突き刺さる視線が痛い。
音也がいたのは、カフェテリアの外にあるテラスだった。ここにもいくつかテーブルと椅子が用意されていて、生徒が自由に使ってもよいことになっている。晴れの日は心地が良いから、ここで昼食を食べたり空き時間を過ごす生徒が多い。昨日の夜まで降り続いていた雨はすっかり上がって、今日は朝から爽やかに晴れていた。
音也は既に、自分の分のカレーライスの載ったトレイをテーブルに置いていた。トキヤはもう一つ空いていた席に腰を下ろし、音也と向き合う格好となった。
音也はスプーンを持ってカレーライスの山をほぐしながら、へへ、と楽しそうに笑う。
「たまにはいいよね。トキヤと一緒にお昼食べるのも」
自分からしてみれば精神衛生上あまりよろしくないことなのだが――トキヤは心の中で独り言を言うに留めて、無言でオムライスを口に運んだ。
昼食は大抵一人か、もしくは先程のように同じSクラスのレンや翔と一緒に食べることが多い。音也と昼食を一緒に食べたことは、入学以来一度もなかった。そもそも音也とはクラスが違うから、わざわざ落ち合って食べるということがない。音也も今まではAクラスの面々と一緒に食べていたようだから、色々とわだかまる思いはあるにしても、この構図は確かに新鮮だ、と思った。
「トキヤってさ、オムライス好きなの?」
カレーの付いたスプーンの先をこちらに向けて、音也が尋ねてくる。
「人を指すのはよしなさい。……別に、好きでも嫌いでもありませんが」
「ふーん。俺はカレー大好き! 昼はパンで済ませることもあるけど、食堂に行ったらやっぱコレ頼んじゃうんだよな」
そう言ってカレーライスをすくい、心底おいしそうに口にする。カレーがあるというだけで無邪気に喜べる彼を、少しだけ羨ましいと思った。
「なんかさ、こうやって一緒に昼飯食べてたら、ちょっと恋人同士って感じする……かも?」
「お願いですから、その単語を人前で口にするのはやめてください」
誰かに聞かれていたらどうするつもりなのだ――トキヤは素早く周囲に視線を走らせたが、音也の言葉を気に留めた者はいないようだ。ほっと溜息をついて音也を睨むと、音也はごめん、と素直に謝った。
「不注意が過ぎますよ、音也」
「ごめん。俺、ちょっとだけ浮かれてたのかも」
音也の思いがけない言葉に、トキヤは目を丸くする。
「浮かれていた……? 何故?」
「なんか、トキヤを独り占めできたみたいで、嬉しくてさ」
そう言って笑う音也に、トキヤは戸惑いを感じた。
「何故、そんなことが嬉しいんです」
「だって、そうじゃない? トキヤと向き合ってるのが俺だけで、トキヤは俺だけ見ててくれて、トキヤが俺だけに喋ってくれて……寮の部屋ではいつも二人きりだけど、学園の中でトキヤを独り占めできることってなかったから、嬉しい」
「質問の答えになってません。どうして――」
なおも言及するトキヤに、音也はいつになく真摯な視線を寄越す。
「トキヤのことが、……好きだからだよ」
一瞬、時が止まったような感覚があった。
この会話でさえも演技の練習の一環だとするのなら、トキヤを本気で動揺させている音也の演技力は凄まじいと言わざるを得ない。トキヤは咄嗟に何と返せば良いのか分からず、言葉を失っていた。また人前でそんなことをと、注意する気力すら失せていた。思わずスプーンを取り落としそうになって、直前で慌てて握り直した。
落ち着け。何度もそう自分に言い聞かせながら、トキヤはオムライスを割って口に運ぶ。先程までふわふわとした玉子の感触を味わえていたというのに、何故かまるで味がしなくなっていた。スプーンを置いてコーヒーカップを手に取る。一口飲んだ闇は深く苦く、トキヤの心の奥底まで浸透していくような気がした。
「トキヤ? 顔、赤いよ?」
「べ……別に動揺してなどいません!」
言った後で、しまった、と口を手で覆う。音也は嬉しそうに笑って身体を乗り出し、トキヤの顔を覗き込んできた。
「トキヤ、動揺……してるんだ?」
「し、してません。何を言ってるんですか。何故私がこんな」
「だって、顔赤いし……落ち着きないし。もしかしてトキヤも俺と、」
音也の言葉を遮って、トキヤはたまらず激しい口調で言う。
「音也! それ以上言ったら、この関係は解消します」
そこで、音也の動きがようやくぴたりと止まる。少ししゅんとなって席に座り直す音也を見て、トキヤは溜飲が下がる思いがした。この言葉は切り札として滅多なことがない限り使わないつもりでいたが、案外効果はあるものらしい。
「ごめん。そうだよな。トキヤは俺に付き合ってくれてるだけだもんな」
先程よりもしょんぼりした様子で、カレーを口に運ぶ。その様子が少しだけ哀れに感じられて、トキヤは深く溜息をついた。そこまで落ち込ませるつもりはなかったのだ。
「音也。顔を上げなさい。あなたらしくありませんよ」
それに、と付け加える。
「先程のは、ちょっとした冗談です」
音也がはっと顔を上げ、トキヤの顔をまじまじと見つめた。怪訝に感じたトキヤが眉を寄せる。
「何ですか。私の顔に何か?」
「……トキヤも冗談なんて言うんだ……」
呆然とした様子で呟くので、トキヤはなんだそんなことか、と肩の力を抜く。
「私も人の子ですから」
そう言った途端、音也が目に見えて元気を取り戻していくのが分かった。そうだよなっ、なんて言いながら、先程まで少しずつしかすくっていなかったカレーライスを、スプーンいっぱいにのせて頬張っていた。
単純バカ、という言葉を頭に浮かべて、トキヤは溜息をついた。けれども頬の緩んでいくのが、どうしても止められずにいる。
音也が笑っていてくれて、自分まで嬉しいと感じたのは初めてのことだった。それと同時に、先程の音也の言葉を思い出し、トキヤの心臓がどくんと跳ねる。あれは演技だったのだろうか、それとも――
けれど今のトキヤに、それを確かめる勇気はないのだった。
ちょっとトキヤの心情に変化が…?の回 Aクラスとは雰囲気が違うけど仲良しなSクラスが大好きです(2011.9.20)