完結できました。ここまで読んでくださってありがとうございました!無理だと分かっていても幸せになって欲しいと願わずにいられません(2011.8.14)
「おかしい……」
京都の自室で携帯を耳に当てていた真斗は、流れてくる音声メッセージに眉を寄せた。
何度掛けても直接留守番電話サービスに繋がってしまい、コール音すら鳴らない状態なのだ。ほんの一週間前までは、電話もメールもやりとりできていたというのに――真斗は音声メッセージの途中で携帯を耳から離し、電話を切った。
レンが忙しいというのは承知しているが、こうも四六時中連絡が取れないとなると、さすがに心配になってくる。目を伏せた真斗の頭を、嫌な予感ばかりが巡る。まさか、事故か何かに巻き込まれて、大きな怪我をして意識を失っているのだろうか――一瞬身震いをするが、それならさすがにかつての友人たちから真斗に連絡が来るはずだろう。
ならば一体何だろう。まさか、レンに愛想を尽かされたとか――
真斗は思わず唾を呑み込んだ。有り得ない、と言い切れない自分が歯痒かった。特にレンに嫌われそうなことをした覚えはないが、人の心などいつ変わるか分からないものだ。たとえ真斗を嫌ったわけではなくても、新しい恋人が出来て、その相手に夢中になっているのかもしれない――そこまで考えて、全身を走る悪寒に身を震わせた。考えないようにしよう。真斗は携帯を机の上に置いて、小さく溜息を吐いた。
どうにも、ここ一週間は気分が晴れなかった。少しの間連絡を取らないくらいでこんなにも思い詰めてしまうものなのだということを、真斗は初めて知った。それだけ自分がレンのことを好きでいるという事実を突き付けられた気がして、真斗は苦々しく顔を歪めた。胸が苦しくて仕方がなかった。真斗は肩を揺らして、大きく深呼吸した。
――俺も神宮寺を責めることなどできないな、今更だが……
一度レンのことを思い出してしまった身体は、既に後戻りできないところまで来ていた。横浜から戻った後、真斗は京都、レンは東京にいながら、電話とメールでやりとりを続けてきた。距離的にも時間的にも直接会うことはできないが、レンと繋がっているという感覚が、真斗を常に安堵させていた。
今は実家にいて、父親の監視下からは逃れられているから、なんとかこっそりと関係を続けていられる。だがそれも、いつまでもつかわからない。本格的に東京の本社に招集されるようなことがあれば、空間的な距離はぐっと縮まっても、直接会ったり連絡を取ったりすることは、なかなかできなくなってしまうだろう。
これがいつ終わるか分からない刹那的な関係でしかないと分かっていても、それでも真斗は、レンと繋がっていたかった。それだけ、自分はあの男に執着していたともいえる。これまでは、そんなはずがないと目を逸らし続けてきただけなのだ。
それを止めて自分の思いと向き合ったことが、果たして自分にとって幸福だったのか不幸だったのかは分からないが、少なくとも今だけは、喜びを感じていられた。だがその心も、レンと連絡が取れなくなってしまったことで、不安にまみれるばかりとなってしまった。
――あまり考えぬようにしよう。滅多なことなど、あるはずがない……
真斗は必死に自分に言い聞かせて、一度レンへの思考を断ち切った。
かつての友人、一十木音也から電話が掛かってきたのは、それから数日後のことだった。珍しく携帯が鳴ったので驚きつつ、ディスプレイに表示された名前を見て、真斗は思わず頬を緩めた。
「もしもし」
「あ、マサ! 久しぶり。元気にしてる?」
学生時代と変わらない、明るい声が電話の向こうから聞こえてくる。真斗は顔をほころばせつつ、ああ、と答えると、良かった、という音也の心底嬉しそうな声が返ってきた。
「どうしてるかなって、ずっと気にしてたんだよね。あんまり掛けるのは迷惑だろうからってトキヤに言われて、これまで掛けずにいたんだけどさ」
「勉強はしているが、特に忙しいわけではないから、あまり気にする必要はない。いつでも掛けてきてくれ」
「ホントに? じゃ、今度から気になったら掛けることにするよ! マサもいつでも掛けてきてくれよな、俺電話するの好きだからさ」
「ああ、そうする」
ここのところレンを心配するあまり気分の落ち込む日が続いていた真斗にとって、音也からの電話は素直に嬉しかったしありがたいと思えるものだった。底抜けに明るくて、天真爛漫そのものといった性格の音也は、以前から生真面目な真斗の思考をほぐし、肩の力を抜いてくれる存在だった。音也と会話を交わしながら、久々に肩の強張りが解け、表情に笑みが戻ってきたと、自分でも感じた。
お互いの近況を伝え合った後、真斗はそういえば、と話を切り出した。少し躊躇ったが、思い切って尋ねてみる。
「その……神宮寺、のことなんだが」
「え、レンがどうかしたの?」
「実は、先日から連絡が取れなくてな……その、どうしているのかと、思って」
別に、特に心配しているわけではないが――言外にそう含ませたつもりだが、音也がそれを察してくれたかどうかは分からない。音也は真斗とレンの関係を知らない。親友と呼べる彼の前でさえも嘘を貫き通さねばならないのは、真斗にとって少々苦痛を感じるものだった。
音也は特に何も追及することなく、素直に質問に答えてくれた。――とても、怪訝そうな声で。
「ええっ、そうなの? 俺達、普通に毎日顔合わせてるけど……」
「な……そ、そうなのか?」
真斗は面食らって、しばらく言葉が紡げずにいた。これでレンが事故や事件に巻き込まれたという可能性は消えた。そうすると、残る可能性は一つではないのか――真斗は最悪の想像をしてしまい、思わず身震いする。
すると音也が、突然思い出したように言った。
「あ、そうそう。レンっていえばさ、二週間前くらいから一人暮らし始めたらしいんだよね」
「え……?」
まるで想像もしなかった情報を与えられて、真斗は思わず携帯を取り落としそうになった。
レンは学園を卒業しアイドルデビューした後横浜の実家に戻り、それ以降もずっと実家で暮らしていたはずだ。それに、あのレンが一人暮らしをするなんて有り得ない。食事の用意から掃除から何から、身の回りの世話を全て使用人に任せきりだったレンが、特に何のメリットもない一人暮らしを唐突に始めるなんて、まるで考えられないことだった。
不意に、一ヶ月前に身体を重ねた後、レンと交わした会話を思い出す。
――オレの身の回りの世話は、お前がしてくれるんだろう?
そんなふざけたことすら言っていたレンが、何故いきなり一人暮らしを始めたのか、まるで解せなかった。
音也は歯切れ良い口調で、真斗の知らないレンの情報をぽんぽんと出してくる。
「最近、自分で料理もしてるらしくってさ。こないだ指に小さい傷が出来てたよ。那月にレシピ聞いてたのは、ちょっと危険じゃないかと思ったけど……あっ、あと昨日なんか、洗濯の時洗剤はどれくらい入れるものなんだ、っていきなり訊いてきて、トキヤが丁寧に教えてたっけ」
「じ、神宮寺、が……?」
生活感のあるレンの姿なんて、まるで想像ができなかった。寮にいた時でさえ、洗濯や朝ご飯作りは真斗が担当していたし、レンは手伝おうとする素振りすら見せなかったのに――言葉の出ない真斗に、音也はおっかしいよな、と笑いながら言った。
「レンって、寮にいる時もそういうこと全然してなかったんでしょ? だから一人で家事やってるレンなんて想像できなくて、翔と二人で笑ってたんだけどさ」
真斗は呆然としていた。言葉を告ぐのを忘れていると、電話の向こうから音也に呼びかけられた。
「マサ? マサ、大丈夫? どうかした?」
「い……いや、何でもない」
ようやく、それだけ口にした。これだけで精一杯だった。呼吸の仕方すら忘れてしまうほど、真斗は動揺していた。何故突然レンが一人暮らしを始めたのか、何故今まで手伝おうともしなかった家事を自ら進んでしているのか。あまりに謎が多すぎて、思考回路が焼き切れてしまいそうだった。
その流れを断ち切るように、音也が突然声を出す。
「あ、もうこんな時間!」
真斗も我に返って時計を見る。音也が電話をくれた時間から、だいたい三十分が経過していた。
電話の向こうの音也は無邪気に笑いながら、しみじみと言った。
「喋ってるとホント、あっという間だなぁ。じゃあまたね、マサ。今度はそっちからも掛けてきてくれよな!」
「あ、ああ。またな、一十木」
電話が切れ、真斗は携帯を耳から離す。そのまま机の上に置いて、ぼんやりと天井を見上げた。
レンの顔が頭に浮かぶ。あの男は一体何を考えているのだろう。音也からの電話は確かに真斗を元気づけてくれるものだったが、一方で戸惑いと疑惑の渦に陥れるものでもあった。
何故――その二文字の言葉が、頭の中をいつまでも回り続けた。レンの行動が分からない。それに、何故自分と連絡が全く取れないのか。まさか、着信拒否にでもされているのだろうか。そこまで思考が至って、真斗は凍り付いた。レンが今しているのが、一人暮らしではないとしたらどうだろう。例えば新しい恋人と同棲するために、神宮寺家を出て部屋を借りたのだとしたら――
――まさか、そんなはずは、でも、
答えの出ない問いを、いくら考えていても仕方がない。真斗はこれ以上暗い思考に陥らないうちに悪循環を断ち切って、携帯を手に取った。電話帳を開き、音也の携帯に掛ける。音也はさっき切ったばかりというのもあって、すぐに電話に出てくれた。
片方の手で携帯を耳に押し当てて、真斗はもう片方の手で側にあったメモ帳を手繰り寄せ、ボールペンを手に取る。
「一十木か。すまない、教えて欲しいことがあるんだが――」
音也から聞いた住所を頼りに、真斗は次の日、東京を訪れていた。
九月に入り少しは太陽の光も和らぐかと思われたが案外そうではなく、真斗は昼間から汗だくで歩いていた。見慣れぬ場所を歩きながら、時折通りすがる人々に尋ねつつ、ようやく辿り着いた時には、時間は三時を回っていた。
「ここか……」
入り口でマンション名を確認する。音也に聞いた名前と、確かに一致していた。駅からは少し遠くなるが、周囲には大型のショッピングセンターもあり、立地条件は悪くない。十五階建ての白いタワーマンションを、下から見上げる。この十二階に、レンの新居はあるらしい。
「行って……みるか」
真斗は思いきって、マンションの中へと足を踏み入れた。
まず最初に真斗を阻んだのは、オートロックの玄関だった。真斗は当然ここの住人ではないため、オートロックを解錠するための暗証番号を知らない。メモに書いてある部屋番号を入力し、一応インターホンを押してみた。が、反応がない。昼間だから当然か、と真斗は肩を落とした。
今日は音也曰く全員オフの日らしいが、雨の日ならともかく、レンはこんなよく晴れた日に真っ昼間から部屋にいるような人間ではない。帰ってくるまで待つしかないか、と真斗が出直そうと踵を返した、その時だった。
マンションに入ってくる人物の姿を見て、真斗は目を大きく見開いた。さらさらな山吹色の髪。微かに伏せられた瞳に宿る、切なげな感情。そして驚いたことに、彼の左頬には殴られた後があり、唇にはうっすらと血が滲んでいた。
「神宮寺!」
真斗が叫ぶと、レンは驚いたように顔を上げた。みるみるうちに、目が見開かれていく。
「聖、川……!? 何でここに……」
「神宮寺、一体何があった!? その頬の傷は……!」
真斗が慌てて駆け寄ると、レンはそれを手で制した。触るな、と言われているようで、真斗は思わず手を引っ込める。悪い、と小さく謝って、レンはオートロックのパネルのところまで歩いて行った。真斗も慌ててそれに続く。
「誰かに聞いたのか……おおかた、イッキ辺りかな」
「ああ、一十木が昨日電話を掛けてきて……お前が一人暮らしを始めた、と言うから」
そうか、とレンは小さく笑った。
「それより、答えろ。何故この二週間の間、一切電話に出なかった。メールも返さなかったんだ」
「あぁ……話せば長くなるかな。とりあえずここまで来ちまったんだから仕方ない、オレの部屋に来てくれ」
レンのいつになく真剣な口調に、真斗は無言で頷いた。
鍵を開けて、部屋に入る。玄関から真っ直ぐ廊下が伸びていて、その奥にリビングがあった。リビングに入ると、レンはソファにどかりと腰を下ろした。真斗はその隣に立ってレンの痛々しい傷跡を見下ろした。
黙り込んだレンに、真斗は躊躇いつつも尋ねる。
「神宮寺、その……頬の傷は一体どうしたんだ。誰かに殴られたのか」
「おっと、ちょっと待て。その質問に答える前に――聖川、今日からオレのことは下の名前で呼んでくれ。いいか?」
あまりに唐突な言葉に、真斗は目を丸くした。
「どういう意味だ、それは」
「つまり、今日からオレは神宮寺じゃないってことさ。あの名前は、もう捨てた」
真斗ははっとした。その言葉が示す意味を、直感的に理解する。以前、レンが口にしていたこと。その言葉を記憶の中から手繰り寄せて、再生する。
――オレが神宮寺を出て、ただのレンになってやろうか
神宮寺を捨てるということ。それはレンが、あの家と縁を切ったということに他ならない。真斗は事態を呑み込めず、呆然としていた。
「思えば――あの家の存在は、オレにとって枷でしかなかった。長男に生まれなかったが故に家も継げず、早乙女学園に放り込まれて、あの家の広告塔になるように兄貴に言われた。あの家にいる以上、そうして生きるしかオレには道はなかった。完全に縛られてたんだよ、あの家に」
一見何にも縛られず、自由に生きているかのような印象を抱かせるレンの、思いがけない告白だった。それに、とレンは立ちつくしたままの真斗を見上げながら、唇の端を吊り上げて笑ってみせる。
「お前と付き合うことすら後ろめたく思わなければいけないのも、あの家のせいだ。神宮寺財閥と聖川財閥の確執がなければ、オレたちはもっと自由に繋がっていられたかもしれない。そうだろう?」
「それは……」
真斗は目を伏せる。否定も肯定もできなかった。家の存在が枷だ、と言われれば、確かにそうなのかもしれない。真斗も家のせいでアイドルをやめ、実家に戻るしかなくなった。音楽を続けることができなくなった。そしてレンのことも、そうだ。
レンの言う通りだ――気を緩めれば、そう肯定したくなるのだけれど。
だが、と真斗は思う。なんだかんだで、自分の家のことを嫌いになりきれないのも事実だ。家の後ろ盾は何より強力で、絶対的な安心感をもたらすものだった。そのおかげでここまで生きてこられたことも事実なのだ。だから真斗は、全てを家のせいにすることなんてできない。それはレンも同じだった。そのはずなのに。
「だから今日から、オレはただのレンだ。何にも縛られない人間になって、お前を迎えに行くつもりだったんだよ」
レンはおもむろに立ち上がり、真斗を至近距離で見つめた。唇は痛々しく吊り上がっている。真斗はその瞳を直視することができず、そっと床に視線を落とした。
「……お前は」
ややあって、真斗の口から言葉が紡がれる。
「それで、平気なのか。俺と連絡を絶って一人暮らしの真似事をしていたのも、そのためだったというのか」
「おいおい、真似事とは酷いな。これでも家事は一通りできるようになったんだぜ? まあ、上手くいかないことも多いけどな。この間シノミーに教えてもらったレシピに挑戦したら、なんとも言えない味のオムライスができてしまった」
それはそうだろう――一瞬心の中で肯定してしまって、真斗は慌てて首を振る。そんな話をしたいのではない。思わず肩が震えた。
「お前は、それだけのことで家を捨てたのか。俺、だけのために……!」
握り拳がわなわなと震えた。涙が零れそうになって、慌てて目に力を入れる。レンは穏やかに笑って、真斗の頬に手で触れた。
「それだけ? 何を言ってるんだ、大事なことだろう?」
「俺に……俺にそんな価値は、ない……!」
真斗は堪えきれず、頬に一筋の涙が伝った。
自分はレンのように家を捨てられない。腹をくくって、愛する人間と駆け落ちする勇気もない。それなのに、レンはあっさりと家を捨てた。自分と一緒になれるという確証などどこにもないのに、それでも自分のために、強力な後ろ盾を捨てる道を選んだ。――否、選ばせてしまったのだ、自分が。
真斗はレンの胸に顔を埋めた。涙をはだけた胸板に擦りつけると、レンの手が優しく背を撫でた。それがますます悲しくて、真斗は流れてくる涙を堰き止められなかった。
「兄貴に話したら、一発殴られてしまってね。普段は暴力で物事を解決するのは良くない、なんて良い子ちゃんぶってるくせに、カッとなったらすぐこれだ。全く」
ハハ、と乾いた笑いがリビングに響く。それが、真斗にはとても痛々しく聞こえてならなかった。
レンの育った環境のことは、ある程度レンに聞いて知ってはいた。父に愛されなかったことも、愛してくれた母親が早くに死んでしまったことも、そして兄に広告塔になれと命じられ、早乙女学園に放り込まれて、籠の中の鳥となってしまったことも――それでも、レンはあの家を愛していた。家で過ごした時の思い出を語るレンの目は、優しくて穏やかだった。レンがいくら口で強がっていても、家を捨てる時に何の痛みも感じなかったはずはないのだ。
「お前は、……っお前は……!」
レンの服を掴んで涙を流し続けていると、レンは軽く笑って言った。
「おいおい、あんまり泣くのはよせよ。レディの涙はダイヤモンドのように美しいが、男がびいびい泣いていても、ただ醜いだけだぜ」
「っ……!」
真斗は服を掴みながら、レンの肌に爪を立てた。痛っ、という声がする。それでも変わらずレンは真斗の背をさすってくれた。その優しさが痛々しくて、嬉しくて、悲しかった。
「お前は自分で分からないかもしれないけどな。オレにとってお前は、それだけのことをする価値があった、ってことなんだよ」
「じんぐ、……レン……」
神宮寺、と言いかけて訂正する。レンはフッと小さく笑って、真斗の身体を強く抱き締めた。
「お前にまで、家を捨てろなんて言うつもりはもちろんないさ。これはオレが勝手にしたことだ。ただのレンとして、少しでもお前と一緒にいたかっただけなのさ」
真斗はレンの背に手を回し、服を握り締めた。そうして、ぽつりと言葉を発する。
「……俺は、お前のように家を捨てる勇気など持てない。決められた道を、これからも歩いていくことしかできない。それでも……?」
「それでも、だ。そんなこと、最初から分かり切ってたことじゃないか」
「俺がいつか、親の決めた女性と結婚して、お前と離れることになっても?」
「それでもいいさ。その時が来るまでは、お前の心はオレのものだからな」
誰がお前のものになどなるものか――いつもなら出てくるはずの言葉は、表面化すらしなかった。こんなに嬉しいことがあるだろうか。愛する者に求められて、抱き締められて、繋がっていられるということ。自分のためにここまでしてくれる人間が、目の前にいるということ。
レンは真斗を一度解放し、今度は表情を引き締めて、真っ直ぐに真斗を見た。
「だから、お前も誓ってくれ。オレはお前の言葉が欲しい」
すう、と真斗は息を吸い込む。この期に及んで、躊躇うことも戸惑うことも、照れることも何もなかった。ただ、真実の言葉を口にすれば良いだけだ。それだけで、自分たちは幸せになれる。たとえそれが、刹那的なものであったとしても。
「俺は、お前を愛している。だから――許されるまで、お前と共に生きたい」
言い切った直後に、再びレンに抱き締められた。愛おしむように髪を、背を撫でられる。
「オレはその言葉が聞きたかったんだ」
真斗の目に、再び涙が浮かび上がる。同時に、唇が三日月型に歪んで、笑みの形を作り出した。幸せの絶頂があるのなら、それはきっと、今のようなことを言うのだろう。
真斗も強い力で、レンを抱き締めた。決して離れない、離れたくない。そう、強く強く誓うかのように。
レンの身体から移ったぬくもりが、真斗の胸をいつまでも温かく包んでいた。
完結できました。ここまで読んでくださってありがとうございました!無理だと分かっていても幸せになって欲しいと願わずにいられません(2011.8.14)