京都出身真斗様の妄想が広がってから書きたくて暖めてたネタ。今度「真斗様横浜へ行く」編も書きたい(2011.8.7)
「噂には聞いていたが、これほど暑いとはな……」
神宮寺レンは改札を出て、空から照りつける眩しい夏の日差しに目を細めた。
新幹線に乗って遠出するのは久しぶりのことだった。大抵の場所へはお抱えの運転手がロールスロイスに乗せてどこへなりと連れて行ってくれるのだが、今回は遠出することを家の者に知られたくなかったため、執事のジョージに相談して、こっそりと新幹線のチケットを取ってもらったのである。
初めての一人旅――とはいえ、近くにジョージが控えているので厳密には一人とは言えないが――は、なかなか快適なものだった。横浜から京都までの二時間ほどを、レンは窓の景色を楽しみながら過ごした。時速約300キロで走りながら、飛ぶように移り変わっていく景色は、レンの好奇心を大いに刺激した。あっという間に楽しい時間は過ぎ去ってしまい、京都に着いたと知ったときは、名残惜しさすら覚えたものだ。
改札を出て、レンは中央口から京都駅を出た。目の前に大きな京都タワーがそびえ立っている。東京のそれと比べると明らかに低いが、見上げると少し首が痛くなった。
夏の京都は暑い――噂は本物だったらしく、こうして立ち止まっているだけでも身体のあちこちから汗が噴き出してくる。レンは早く日陰に入るべく、歩き始めた。
目的地は京の花街として最も有名な祇園だ。ここ京都駅からはバスに乗って行く必要がある。公共のバスに乗るのはほとんど初めての体験だったが、乗り方くらいは知識として持っていた。バスターミナルに入ってきたバスに乗り込み、観光客で混み合う車内に立ってつり革を手にした。
やがてバスの扉が閉まり、長い巨体がのろのろと動き始める。これはある種のバランスゲームだな、と内心で思いながら、レンはしばしバスに揺られた。
祇園の街は、休日というだけあって観光客の姿が多く見られた。あまり落ち着いた風景とは言えないが、今日しか自由になれそうな時間がなかったのだから仕方がないと割り切って、レンは街中を歩いてみることにした。
気休めにしかならないだろうが――とは思いつつ、レンは一応変装している。黒いサングラスに同じ黒いボルサリーノハットを被った姿は、少々人目を引くらしく、何度か通行人に振り返られた。別に怪しい者じゃないんだがな、と内心苦笑しつつ、自分の格好が客観的に見て奇妙なのは重々承知しているので、なるべく人目を気にせずに歩いた。
目的地は一応あるのだが、正式にその場所に招かれたわけでもないので、レン自身周囲の観光客としていることはさほど変わらない。古き良き京町家を眺め、時折通りすがる白い顔の舞妓たちがたおやかに歩く姿を眺めながら、レンは通りを歩き続けた。
時々立ち止まっては、ここがどの場所かを地図で確認する。目的地からはさほど離れていないはずだが、さて――レンは地図と通りを交互に見ながら、いくつか角を曲がった。
「ん……?」
しばらく歩いたところで、明らかに見慣れない場所に来てしまった、と感じた。祇園に来るのは今日が初めてではない。だからこそ、記憶と地図を頼りにここまで歩いてきたのだが、この風景は全く見覚えがない。
くるりと身体を翻して今まで歩いてきた通りを見つめる。戻るべきなのだろうか。それすらも分からない。小さく溜息をつき、参ったな、とレンは頭を掻く。
少し考えた後、分かる景色のところまで戻ってみるべきだと思い、踵を返した。周囲の風景を注意深く見回しながら、ゆっくりと元来た道を戻っていく。
その時だった。よそ見をしていたせいで、向こうの通りから歩いてきた人間とぶつかったのは。
「っ!」
「すいません、お怪我はありませんか」
だが、レンが何より驚いたのは、その相手とぶつかったということではなかった。柔らかな京都弁のイントネーションを紡ぐその音色に、明らかに聞き覚えがあったのである。
改めて、ぶつかった相手をサングラス越しに見つめる。切り揃えられた鮮やかな蒼髪に、落ち着いた青藍の着物を着た男。澄んだ深海を思わせる瑠璃色の瞳が、じっとこちらを見つめている。
「いや……すまなかった。よそ見をしていて」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません。私の不注意でした」
穏やかに紡がれる声音に、レンは内心苦笑する。かつて同じ時間を過ごしていた時、こんなふうに自分に向かって喋ったことなど、一度もなかったのに――
聖川真斗。聖川財閥の嫡男であり跡取りでもある彼の姿を、レンが見まごうはずがなかった。自分が神宮寺レンだとバレていなければいいが、と内心ひやひやしながら、適当に言葉を交わしてその場を去ろうとすると、真斗はレンの手に握られている地図に視線を向けた。
「もしかして、どこか行きたいところが?」
「あ、ああ……そうなんだが、道に迷ってしまってね」
レンは努めて笑みを崩さぬようにしながら、困ったように溜息をこぼす。すると真斗は柔らかな笑みを浮かべて、優しい声で言った。
「そやったら、案内して差し上げましょうか。この辺りやったら、ある程度分かると思いますし」
「ああ……それはすまないね」
そう答えながら、レンは内心焦っていた。目的地のことを何と答えれば良いのだろうか――レンの元々の目的地は、何を隠そう、この男の実家だったのだ。そもそもレンが京都に来た目的自体、真斗に会って様子を見るためだったので、とっくに果たされてしまったこととなるのだが。
「それで、どこに行かはるつもりやったんです?」
「あー……そうだな、少し腹が減ってしまってね、どこかおいしい料理屋はないものかと思って」
適当に嘘を吐くと、真斗はそうですか、とまなじりを緩めた。どうやら誤魔化し通せた、らしい。
「それやったら、ええところがありますわ。知り合いがやってるお店なんですけど」
真斗が少し振り返って、付いて来てくれ、と視線で合図する。そのまま前を向き、背筋を伸ばしてゆっくりと歩き始める真斗の背を、レンは追うことにした。
歩きながら、レンは落ち着かなさを感じていた。この適当な変装もいつバレるものか分かったものではないし、真斗とこんな形で再会して、どんな言葉を交わせばいいかわからなかった。姿だけでも見られれば。そう思ってここまで来たのだ。まさか直接接触の機会が得られることになろうとは、全くの予想外だった。
「どこから来はったんですか?」
真斗の問いに、ワンテンポ遅れて答える。
「……横浜からだ」
「そうですか。そういえば、私の知人にも横浜の出身の人間がいるんですよ」
知人、か――距離を感じる表現に、レンは少しばかり落胆する。真斗はもう割り切ってしまったというのだろうか。そうだとすれば羨ましいものだ、とレンは思った。この期に及んで未練たらたらな自分がどれほど女々しくて惨めかということを、いやというほど思い知らされる。
真斗のことを忘れることなどできなかった。家に戻らねばならないからと真斗がアイドルを止めた時、お互い納得して関係を断ち切ったはずなのに、真斗の存在はレンの中にいつまでも残り続けた。
女々しい自分に自己嫌悪した。喉を掻きむしって、苦しみに抗おうとした。忘れようとした。だが結局はどの努力も失敗して、今、レンはここにいるというわけだ。
一旦、会話が途切れそうになる。レンは慌てて、しかし出来る限り声が上擦らないように気を付けながら、言葉を続けた。
「その知人っていうのは、どんな人なんだい?」
歩き続けていた真斗の動きが、一瞬止まった――気がした。それから少しばかり速度を落として歩く真斗は、顎に手を当てて何か考えるような仕草をした。
「そう、ですね……どんな、と言われても、説明がしにくいんですが」
真斗が小さく溜息をつくのが聞こえた。きっと愚痴をつらつらと聞かせられるのだろう。そう思っていたのだが、真斗の口から出てきたのは、全く意外な言葉だった。
「何もかも、私とは正反対の人間です。私にないものを、あいつは何でも持っていた」
穏やかな声音に、少しばかり影が混じる。
「羨ましかった、んでしょうね。多分……私にしてみれば眩しくて、そやから、いつまでもあいつの姿を目で追っていたかったんやと思います」
レンは思わずその場に固まっていた。たった今真斗の口から紡ぎ出された言葉が信じられずに、呆然としていた。少しして、真斗が振り返る。
「どないしはったんです? 大丈夫ですか」
「あ……あぁ、いや、なんでもない」
レンが慌てて取り繕うと、真斗は頬を緩め、申し訳なさそうに謝った。
「すいません。通りすがりの人にいきなりこんな話してしまうなんて。なんでやろ、急に懐かしくなって……」
真斗の穏やかな声音に、レンは胸が張り裂けそうになった。今すぐに真斗の身体を捕まえて、この腕の中に閉じ込めたい。だが、こんな公の場所でいきなり行動に及ぶわけにはいかない。強い衝動に駆られた自分を制するのは少々辛かったが、あやうく踏みとどまる。
「あ、着きましたよ。ここです」
やがて、真斗が道沿いにある建物を指差した。
落ち着いた和風の小料理屋といった雰囲気で、その穏やかなたたずまいに、少しばかり心が救われた気がした。
レンは真斗の方を見つめて、礼を言った。今なら、すっきりと別れられる気がした。
「ありがとう。すまなかったな」
「いいえ。お役に立てて良かった。それでは、失礼します」
真斗がぺこりと頭を下げ、レンに背を向けた。そのまま来た道を戻っていく真斗の後ろ姿を見つめながら、レンは小さく溜息をつく。
これで目的は果たされた。見て帰るだけのつもりが、言葉まで交わせたのだから上出来と言えるだろう。幸い、自分の正体もバレずに済んだようだ。
安堵の溜息をついて、再び駅に戻ろうと、大通りに出る道を探し始めたその時だった。
「……神宮寺レン」
よく通る声が、通りに響き渡った。
レンは驚いて声のした方を振り向いた。背を向けていたはずの声の主はいつの間にかこちらを振り返っていて、じとりと睨むように、レンの顔を見つめていた。
「もう少し、ましな変装をしてから来ることだ」
レンの肩が思わず震えた。ややあって、レンはフッ、と小さく笑う。
「……やっぱり、バレてたか」
「当たり前だ。サングラスと帽子くらいで、俺の目が誤魔化せるわけがなかろう」
そりゃそうだよな、とレンは苦笑する。観察眼の鋭い彼の前では、たとえレンがいかに上手く変装したとしても、たちまちバレてしまうことだろう。
「やれやれ、敵わないね。元気そうで何よりだよ、聖川真斗」
「ふん……一体何をしに来たんだ、神宮寺。観光旅行か」
皮肉混じりの真斗の口調に、変わっていない、とレンは小さく笑った。レンの真の目的など、真斗はとうにお見通しなのだろうが――素直に吐くのも癪なので、その言葉に乗っかってやる。
「ああそうだ。久しぶりに、京都の街並みを歩いてみたくなってね」
「呑気なものだ。お前が心底羨ましい」
更に一段トーンを落とした真斗の声は、先程以上の皮肉に満ち溢れている。レンはふっと息を吐いて、ズボンのポケットに手を入れた。
「……それで、いつ戻るんだ」
「日帰りさ。ここに新幹線のチケットがある、ほら」
バッグから取り出してひらひらと見せてやると、そうか、と真斗は溜息を落とした。
「何だ? オレが恋しくなったか。なら、これからホテルにでも行くかい?」
「断る。俺もさほど暇ではないんでな」
即答されて、レンはやれやれと肩をすくめる。それでも変わっていないかつての恋人の姿に、少しばかり安堵を覚えた。
「まあ、気を付けて帰れ……とだけは、言っておく」
「相変わらず素直じゃないな」
レンはそう言って、じゃあな、と手を挙げた。ああ、と答える真斗の声が響いて耳に残る。京都まで足を運んだ甲斐があった。未練が完全に断ち切れたかというと嘘になるが――少なくとも、真斗とこうして言葉を交わせただけで、今のところは満足だった。
「……俺も」
ふと、真斗の声が聞こえて、レンは再び振り返る。真斗は真っ直ぐにこちらを見つめていた。先程のように睨むでもなく、ただ、レンを捉えるかのように、真っ直ぐに。
「俺もそのうち、横浜に行く用ができる……かもしれん」
「へえ? それは、オレに会いに来てくれる、って解釈でいいのかな?」
「あくまでも、用ができれば、だ。お前個人に会いに行くわけではない」
その言葉が偽りであることを、レンは知っている。自分の前でとことんまで素直にならない元恋人に苦笑しながら、レンは唇に笑みを滲ませた。
「待ってるぜ」
「……ああ」
今度こそ、本当に――レンは真斗に背を向けて歩き出す。一つ、楽しみが出来た。レンの表情はほころんでいた。
余韻を噛み締めながら、レンはすう、と息を吸った。彼が現役時代、自分で作詞をしたという歌を、そのまま口ずさむ。真斗にオレの気持ちが届くように。心から、そう願いながら。
京都出身真斗様の妄想が広がってから書きたくて暖めてたネタ。今度「真斗様横浜へ行く」編も書きたい(2011.8.7)