年の差カプの王道に当てはめたらものすごく萌える組み合わせだと気付きました。翔ちゃん普通にコーヒー飲める人だった! と書いた後に気付いたんですがその辺は目を瞑っていただけると嬉しいです…!(2011.10.24)
「ほらよ、淹れてきたぞ。コーヒー」
かたん、という音がして、生徒指導室のテーブルにマグカップが置かれる。
カップの中で揺らめく闇を覗き込んで、翔は小さく溜息をついた。それを見て、日向が自分の分のコーヒーをすすりながら、軽く笑う。
「やっぱり、チビにはまだ早かったか?」
「そ、そんなことねーよ! 俺だってコーヒーくらい飲めるし!」
翔がむきになってマグカップを手に取り、口を付けた。直後、翔の顔が歪む。日向が再び声に出して笑うと、翔はあからさまに落ち込んだ表情を見せた。
少し挑発しただけですぐに乗って、けれど身の丈に合わないことだから即座に撃沈して――そんな翔を見ながら、本当に飽きない奴だ、としみじみ思う。だからこそ、こうしてからかうのをやめられない。生徒への対応としては、あまり良くないことなのだろうと分かっていてもだ。
翔と放課後生徒指導室で過ごすのが、ここ最近の習慣になりつつあった。最初は翔の方から、課題を見て欲しいと声を掛けてきたのが始まりだった。可愛い生徒の頼みを断るわけもなし、日向は丁寧に翔の課題を見てやっていたのだが、一週間に一度ほどだったそれがいつしか三日に一度になり、今はほぼ毎日、こうしてここで顔を合わせるようになっている。
生徒指導室は一応職員室の隣に配置されてはいたものの、ほとんど使われることはなく、二人きりになるには最適な場所だった。職員室には他の教師もいるし、ずっと声を出して指導を続けるのも憚られるということで、場所を移したのだ。
今は一通り翔の課題を見終わって、日向が給湯室でコーヒーを淹れてきたところだった。日向はいつもブラックにするが、翔にはやはりまだ慣れない味のようだ。砂糖もミルクも給湯室に行けばあるのに、翔は日向の前では絶対に入れようとしない。マグカップいっぱいに注がれたブラックコーヒーを見つめて溜息をつきながら、毎日泣き言も言わずに闇と戦っている。そんな姿が微笑ましくて、日向はそれを見るのが密かな楽しみになっていた。
半分ほど飲んだところで、休憩、とばかりに翔がマグカップをテーブルの上に置いた。ソファにもたれて、大きな溜息を一つ吐く。
「お、もう降参か? 今日は早いな」
「ちげーよ! ちょっと……休憩するだけだ」
翔が身体を乗り出して口を尖らせる。日向はそうか、と自分のコーヒーをすすりながら微笑んだ。
翔は膝の上で手を組んで、視線を落とす。
「……これがすんなり飲めるようになったら、俺、もうちょっと大人になれるのかな」
「さあな。ま、俺は最初からブラック飲んでたがな」
「え? 俺ぐらいの年齢の時も?」
「そうだ。砂糖やミルク入れるなんて格好悪いと思ってたからな、当時の俺は」
とんがってたからなぁ、と日向はしみじみ語る。あの頃は少しでも弱点を見せることが、最も格好悪いことだと思い込んでいた。とにかく強がって強がって、そのおかげで得たものもあるが、失ったものも同じくらい多くあるような気がする。
翔は闇をじっと覗き込んだ。
「……今の俺……格好悪い、かな」
「んなこたねーよ。ブラックコーヒー飲めなきゃ格好悪いなんて、くだらねーこだわりだ。そういう小っさいことにこだわってっと、本質を見逃すぞ」
「それはそうかもしんない、けど」
翔が小さな声でぶつぶつと言う。まだすんなりと納得できてはいないようだ。気持ちは分かるがな、と心の中で呟いて、日向は悩む翔を見つめた。若い頃は、どうでもいいような些細なことをやたらと気にしたり、こだわったりしてしまうものだ。誰もが通る道なのだから、それを敢えて修正することはないが、まるで若い頃の自分を見ているようで、微笑ましいようなどこか痛みを感じるような、複雑な気分になる。
翔は深く息をついて、マグカップを再び手に取った。ぐっと飲んで、口に広がる苦みに耐えるように顔をしかめる。
「……やっぱ、慣れねーや」
「砂糖とミルク、持ってくるか?」
「それは嫌だ!」
即座に顔を上げて首を振る翔を見て、日向は弾けたように笑った。からかうのはここまでにしてやるか、とこっそり呟いて、翔の向かいのソファに腰を下ろした。
テーブルの上には、先程二人で見ていた翔の課題のプリントが置かれている。先日業界用語のテストで赤点を取ってしまった翔への、救済措置としての課題だった。だが――日向の伏せられた睫毛の下で、僅かに瞳が蠢く。この救済措置を与えてやったのが翔だけだということを、翔は知らない。
翔はまたコーヒーを口に含んで、苦みに顔を歪ませながら、日向に視線を移した。
「先生はさ……やっぱ、一人前の大人の方が、いい?」
「なんだそりゃ」
問いの意図するところが分からず聞き返すと、翔は考え込むように黙りこくってしまった。カップの底に残ったコーヒーを飲み干して、日向は息をつく。
「ま、場合によるな。対等に話をするなら、大人相手の方が話はしやすいだろうが……お前のような半人前の、まだ磨かれてないダイヤの原石見てるのも、楽しくて飽きねえのは確かだ」
そう言って顔をほころばせたが、翔はまだ浮かない顔をしていた。他人より少し背が低いことがコンプレックスなせいもあるのだろうか――翔は大人になる、ということに、異常なこだわりがあるようだ。
「子どもは、そんなに嫌か?」
「嫌に決まってるだろ。早く大人になって、一人前だって認めてもらいたい。先生に」
翔はぐっと拳を握った。日向は立ち上がって、翔の頭をぽんぽんと叩いた。
「ま、焦るこたねーよ。ちょっとずつ成長してけばいい。まあこの世界に入る以上、あんまり悠長なことは言ってられないってのはあるがな。こういうのは焦ったってどうにもならねえんだから、どーんと構えてりゃいい」
うん、と珍しく素直に頷いて、翔は微かに拳を震わせた。その仕草は、翔の決意の深さを窺わせた。単に背が低いことがコンプレックスである、というだけではなさそうだと、日向は直感的に感じ取る。俯いた翔の顔を覗き込んで、日向は尋ねた。
「なんでそんなに大人になりたいと思うんだ?」
膝の上に置かれた拳が、きつく握り締められる。
「だって」
翔の声が、消え入りそうなくらい小さくなる。
「……先生にいつまで経っても追いつけない気がする、から」
日向は思わず表情を緩めた。
「別に、焦って追いかける必要ねぇじゃねーか」
「だって! 先生は俺の憧れだし。俺、早く先生みたいになりたくて」
翔が顔を上げてはっきりと言った後、再び横を向いて、小さな声で呟く。
「……それだけじゃないけど……」
それを耳ざとく聞きつけて、日向は追及する。
「ん? 何か言ったか?」
「な、なんでもない」
「なんでもないって顔してねーぞ? 俺はむしろ、そっちの理由の方が聞きてえな」
日向が口角を上げて笑むと、翔は観念したように溜息をついた。
「あのさっ。先生は……俺のこと、好き?」
翔の口から飛び出た問いに、日向は思わず脱力した。目を見開いて、まじまじと翔を見つめる。翔の横顔は、ほんのりと桜色に染まっていた。きっと彼の心の中では、羞恥心との戦いが繰り広げられていることだろう。日向は教師の顔で、笑って頷いた。
「愚問だな。俺がお前を嫌うわけがねぇだろ?」
「そうじゃなくて! 教師と生徒だからとか、そういうんじゃなくて……ごめん、やっぱいい!」
「来栖!」
俺帰る、と早口で言って、そのまま生徒指導室を飛び出そうとする翔の腕を、日向は素早く捕まえた。振り向いて目を見開く翔に、日向は真剣な表情で向き合う。
「逃げるのは卑怯だぞ、来栖」
「で、でも。俺、変なこと訊いて……さっきのはそういう意味じゃなくて、その」
「じゃあ、どういう意味なんだ?」
「それは……」
翔が頬を赤らめて俯いてしまう。またからかいすぎたか、と日向は頭を掻いて、笑った。
「人間的な意味でってんなら、無論、答えは一つだ」
顔の前で人差し指を立ててやると、翔の視線がそこに集中する。
「チビ、俺はお前に会ったときから、お前のことがどうも放っておけねえみたいだからな」
「先生……」
それは事実だった。この早乙女学園で担任となってからも、翔のことは何かと気に掛けてきた。それは教師としてというのもあるし、一人の人間として、翔のことが不思議と気に掛かったというのもある。そんな翔が自分を慕い、自分を憧れだ、目標だ、と言ってくれるのは、純粋に嬉しかった。
だから余計に翔に甘くなっていった、というのはあるかもしれない。先程の救済措置がそうであるように。でも、日向にとっても、救済措置の意味はそれだけではないのだ――
胸の微かな痛みに気付かないふりをしながら、日向は目を細める。翔には将来がある。夢や希望がある。無限の可能性を摘み取らないためにも、日向はそれを心にしまい続けなければならない。
だから、教師の顔を貼り付ける。
「来栖」
日向の真剣な眼差しに、翔ははっとして釘付けになる。
「憧れは、憧れだ。その気持ちをそのまま大切にしてくれれば、俺はそれだけで十分だよ」
「あ……」
翔が少し手を伸ばしかけて、躊躇うように引っ込めたのが分かった。それでいい、と日向は目を細める。嘘を吐くのは嫌いだが、嘘を吐いた方が良いこともある。自分のような歳の離れた人間に固着することが、翔にとって良いことだとは思わなかった。純粋に憧れのアイドル、もしくは教師として慕ってくれるのは嬉しいが、翔の感情がそれだけではないと気付いてしまった以上は、突き放さなければならない。
「っと、お喋りが過ぎたな。ほら、そろそろ時間だ。生徒は寮に帰った帰った」
「あ……はい。ありがとう、ございました」
翔はそう言ってぺこりと頭を下げた。日向はいつものように頭を撫でようと手を伸ばしかけて、慌てて下ろす。今は無駄な接触は避けた方が無難だろう。翔が気持ちの整理を付けやすくするためにも。
生徒指導室から出て廊下を歩いていく翔の後ろ姿を見送った後、日向は中に戻り、翔が残していった冷めたブラックコーヒーを飲んだ。自分も先程同じものを飲んでいたはずなのに、それはやけに苦く感じられ、胃が重くなった。
――早く一人前だって認めてもらいたい。先生に
「……お前が一人前になったら、ますます逃げられなくなんだろーが」
日向は独りごちて、沈んでいく夕日を部屋の窓から見つめた。この年になって、と自分を諫めながら、それでも消えない思いがあることを、日向は身をもって体験することになるのだった。
年の差カプの王道に当てはめたらものすごく萌える組み合わせだと気付きました。翔ちゃん普通にコーヒー飲める人だった! と書いた後に気付いたんですがその辺は目を瞑っていただけると嬉しいです…!(2011.10.24)