ゲームの日向先生の「お前達はお互いにないものねだり」発言がツボでした(2011.7.26)
目を閉じて、そっと思い出の中の時間を巻き戻す。
幼少期――パーティでその姿を見かけたとき、彼は戸惑ったように、上っ面だけで談笑する大人達を見上げていた。レンはその手を取って、抜け出そう、と持ちかけた。最初こそ迷ったように視線を彷徨わせていたものの、レンが半ば強引に誘い出すと、嬉しそうな顔をしてついてきたことを覚えている。
あの頃はまだ、子供でいられた。大人の事情など何も知らないで、自分たちの立場などを意識することもなく、ただの神宮寺レンという一人の人間でいられた。それなのに、いつからこんなふうになってしまったのだろう。
「っ、ん……やめっ、神宮寺……ッ」
「そんな気持ちよさそうな顔で言っても、説得力、ないぜ?」
ベッドの上で頬を赤らめる真斗を見下ろす。唇の端を吊り上げて、笑みを浮かべて。双方の額には汗が滲んでいた。レンが再び腰を動かすと、真斗は顔を歪めて喘ぐ。
「だからっ――ぁあっ、も――っ」
「そろそろか――っ聖川、」
――こんな歪んだ形でも、聖川と繋がっていられればそれでいい。
それが、レンの選んだ選択肢なのだった。
全てが終わった後、真斗は一切口をきいてくれなくなる。普段から自分に対しては無口な真斗だが、更に拍車が掛かってしまうのだ。同じベッドの中にいるというのに、向こうを向いたまま、決してこちらを見ようともしない。いくらレンが指で突いたり、肩を掴んでみたり、呼びかけたとしても、それは同じことなのだった。
日焼けのしていない白い背に、レンはいつものように指を沿わせた。一瞬ぴくり、と反応があるものの、それ以上の動きは起こらない。先程までこの腕の中にあって一体化していたはずの彼の身体は、既に水と油のように分離してしまっている。
「聖川、こっち向けって」
答えが返ってくることは、ない。いつものこととはいえ、つまらない、という気分にさせられる。レンは静かに溜息をついて、真斗の背をしつこいくらいに指の腹でさすった。
「……やめろ、と言っているだろう。いつも」
そういう声は出せるくせに、とレンは少し恨めしい気分になる。
「お前がこっち向いてくれないからだろ? どうせさっきまで、一番恥ずかしい格好で向き合ってたんだ。今更顔隠したって一緒じゃないか」
「ッ、お前は……もう少し配慮というものを身に付けろ」
真斗の頬と耳朶が真っ赤に染まる。そんな姿を見てしまうと、もうどうでもよくなって、この愛しい男を思いきり抱き締めてやりたくなる。ただそうしたところで、本気で拒絶されると傷つくから、腕は収めたままなのだけれど。
普通は心の惹かれ合いがあって、それからようやく身体を交えるもの、というのが世間の見識だ。だが、自分たちの場合は全く逆だった――そう、レンは認識している。レンが嫌がる真斗を、無理矢理ものにしてしまったのだ。
そのことについて、罪悪感がないといえば嘘になる。だが、レンにはこうするしか方法が思いつかなかった。こうでもしなければ、一生真斗は自分を見ないという、ある種の確信があった。
真斗の視線は、もう自分のものにはならなくなってしまった。幼少期に向けられていたあの視線は、大きくなるにつれ、別の場所へと飛んで行ってしまった。その視線の先にあるのは、家のことや、音楽のこと――彼が何事も真面目に取り組む人間だと知っていたからこそ、その視線はなかなか揺らがないものだ、ということも、同時に理解していた。
真斗は自分にないものをたくさん持っていた。例えば、長男としてゆくゆくは財閥の当主になるという、ある種の使命感。周囲の評価に惑わされることも恥じることなく、あらゆることに真面目に取り組む真摯な姿勢。三男として生まれ、家を継ぐ必要もなく自由に生きてきたレンには、それが煩わしいものだと感じる一方で、どこか羨望に似た気持ちを抱くのもまた事実だった。
あらゆる意味で、真斗は自分の対極にある人間だった。例えばこの学園に入った経緯に関してもそうだ。真斗はそれまで家や父親に縛られてきたのに、その束縛から逃れ、自分のしたいことをするという目的で、この学園に入った。だがレンは違う。兄に強制され、財閥の広告塔となるため、この学園に入れられた。ここへ来て真斗はある種の自由を手に入れ、レンはそれを失った、ともいえる。
相容れない存在だ。そう認識していたはずなのに、何故こうもこの男に惹かれるのか分からなかった。真斗の存在は、レンの意識を引き付けて止まなかった。その理由を探りながら、胸の痛みに抗い続け、真斗の意識をこちらに向けようと必死になり――気が付いたら、こうなってしまっていた。
そのことを、真斗がどう思っているかは知らない。こうして身体を交えるのは初めてではないが、真斗は抵抗する素振りを見せるばかりで、自分への心情を吐露したことなど一度もなかった。初めはそれでも良かった。とにかく真斗を自分の側に引き付けておけるなら、それで十分だった。だが今、それ以上の欲望が頭をもたげてきていた。真斗は自分をどう思っているのか――ただ、それを確かめる術が、今のレンにはないのだった。直接聞き出す勇気のない自分を情けないと罵ってみても、結局は何も前進しないまま、今に至る。
ふと、真斗の背を往復していたレンの指が、何かの突起を捉えた。異常を感じて目を凝らすと、真斗の右肩の辺りが、小さくではあるが赤く膨らんでいるのに気付いた。そこをしつこく触ると、真斗は視線だけをこちらに向けて、きっ、と睨んできた。
「触るな、と言っている」
「どうしたんだよ、ここ。お前、オレ以外の奴にもこんなことされてるのか」
茶化すように笑いながら言うと、真斗は更に目を細めた。
「ふざけるな。こんなことをするのはお前だけだ」
鋭い口調ではあったが、その言葉に安堵を覚え、レンは思わず溜息をついた。少なくとも、真斗に手を出す男は自分以外にいなかったようだ。いたらいたで、その時は全力で追い払うつもりでいたけれど。
「最近、暑いからな。レディ達も悩まされてるって聞いた」
指で触れながら、その小さな膨らみの原因に、レンは気付いていた。きっと蚊にでも刺されてしまったのだろう。どうやら図星だったようで、ああ、と真斗から珍しく肯定の返事が返ってきた。
「換気をしようと窓を開け放っていたら、どうもその時にな……何をしていても気が散るので、正直、参っている」
あの真斗が、例え蚊に刺された程度のこととはいえ、自分の前で弱音を吐くのは珍しい。
レンは指を離すと、その部分にそっと口付けを落とした。ちゅ、という水音を聞いて、真斗は相当に焦ったらしい。身体が一瞬波打って、真斗の顔がこちらを向こうとする。
「何をしているっ」
「何って、お前の身体にオレの印を刻んでいるのさ」
「お前、勝手にそんなこと――」
「勝手にって、それなら蚊の方がよっぽど勝手じゃないか。お前の身体に許可もなく張り付いて、血を吸っていくなんて」
レンはその膨らみに爪を立てた。痛っ、という声が部屋に響く。真斗を傷付ける意図はないが、この痛みが真斗の皮膚をこんなふうにした蚊に届きますようにと願った。
「オレは嫉妬してるんだよ、蚊に。何の思い煩いもなくお前に容易に近づけるなんて、ってな」
「神宮寺……」
そうだ。自分は苦しい思いをしてようやく真斗を手に入れたというのに、それなのに蚊は真斗にも気付かれることなく近づいて、真斗の体液を啜ってしまった。これが嫉妬を覚えずにいられるか。もっとも、レンが手にしたのは真斗の身体だけで、彼の心までをものにした実感はないのだが――
ふと虚しさを覚え、レンは目を伏せる。その様子に気付いたのか、真斗が身体ごとこちらを向いた。
「神宮寺?」
顔を覗き込んでくる真斗と目が合って、たまらない気持ちになった。
「聖川」
腕を伸ばして、思い切り真斗を抱き締めた。驚きの声を上げはしたものの、いつものようにやめろ、とか離せ、という言葉は聞こえてこなかった。
「お前が欲しかった。ずっと」
真斗が身体を震わせた。驚いたようにこちらを見上げてくる。
「お前にオレを見て欲しかった」
だから、こうするしかなかった――言い訳じみているからと、言うのが憚られていた言葉を口に出すと、真斗は目を見開いた。その視線から逃れるように、レンは真斗をきつく抱く。腕の中にある温もりが、愛しくて愛しくてたまらなかった。
罵られて、拒絶されることも覚悟の上だったのに、返ってきたのは意外な反応だった。
「……俺の気も、知らないで」
聞き間違いか何かかと、レンは瞠目する。腕の中の真斗を見ると、真斗は再び耳朶まで真っ赤に染めて、レンの胸板と向き合っていた。
「俺は、お前が羨ましかった」
「え……」
思わず間抜けな声が出た。たった今真斗の口から出た言葉が、にわかに信じがたいものだったからだ。真斗は言葉を選んでいるとでもいうように唇を微かに動かしながら、言葉を続けた。
「自由な生き方のできるお前に、憧れていた。だから……俺も父の束縛から逃れて、自分のやりたいことがしたいと思って、ここに来た。そうしたら、お前がいて」
徐々に力が脱けていくのが分かった。
「……なんだ、お前もだったのか」
「お前も……って、まさか、神宮寺も」
意外そうな目を向ける真斗に、唇を歪めて笑いかけた。
「そうだ。お前の生き方が羨ましいって……お前は俺にはないものばかり持っていたから」
「それは……お互い様だろう。お前も、俺にはないものばかり持っている」
結局のところは――レンはははっ、と笑った。
「お互いが羨ましくて仕方なかったんだな。オレたちはさ」
「ああ……そういえば日向先生も、お前達はないものねだり同士だ、とおっしゃっていた」
課題に真面目に取り組まない自分に、いつも鋭い視線を向ける担任の顔を思い出す。あいつ、そんなこと言ってたのか。レンは思わず苦笑した。おそらく、先日のレコーディングテストの時だろう。真斗のレコーディングが終わった直後にレコーディングルームに乗り込んだレンは、真斗に必要以上に敵対心を向けて見せた。そうやって、真斗の目を引き付けておきたかったのだ。
だが、もうそんなことをする必要はなくなった。真斗の視線の先にあったのが自分だと、ようやく知ることが出来たから。
「じゃあ、ないものねだり同士、自分にない物を埋め合おうじゃないの」
顔を近づけキスをする。最初は微かに触れる程度に、しかし徐々に長く、深く。真斗はもう、抵抗する素振りすら見せなかった。
この薄い皮膚すらももどかしい。取っ払って、直接繋がりたい。そんな強い欲望を抱いたのは、生まれて初めてだった。
一呼吸置いてから、二人は再び、奥深い場所へと身体を埋め始めた。
ゲームの日向先生の「お前達はお互いにないものねだり」発言がツボでした(2011.7.26)