以前書いたレンマサ三部作のその先の一つの形、というか。ここだけで終わると悲恋ですが書いておきたかった。
カッコつけてイタリア語なんぞ使ってみたんですが不自然だったらすみません(2011.8.28)
晴れた蒼穹に、白い花束が舞う。それは綺麗な放物線を描いて、地面にぱさりと落ちた。
二人の視線が、しばしその花束を通じて交わり合う。胸中を様々な感情が過ぎった。それを振り払うようにして、神宮寺レンは山吹色の髪を掻き上げ、唇の端を吊り上げて言った。
「――おめでとう、聖川」
はっと顔を上げた聖川真斗の目は、大きく見開かれていた。表情の引きつり具合が、真斗の胸中に残る感情の正体を告げていた。
数日前のこと。
夜レンの部屋で肌を重ねた後、真斗の様子がいつもと違うことに気付いた。ベッドに腰掛けたまま、こうしてレンに背を向け、気恥ずかしそうに肩をすくめるのはいつものことだったけれど、その肩が微かに震えているのを、レンははっきりと見たのだ。
思えば行為の途中でも、真斗の表情がいつも以上に切なげに歪められていた気がする。レンは身体を起こして、真斗の身体を後ろから抱き締めた。
「真斗」
ぴくり、と真斗の身体が震えた。やはり何かおかしい。やがて真斗の手が動いて、やんわりとレンの束縛に抵抗しようとする素振りを見せる。
「レン……」
「何か、オレに隠してることがあるだろう?」
真斗の目が大きく見開かれる。図星か、とレンは微かに笑った。
「分かりやすい奴だ。普段は仏頂面の癖に、こういう時だけ表情が動くんだな」
「……うるさい」
真斗の眉間に小さく皺が寄る。その後で、溜息を吐いた。
「お前には、どうしても話しておかねばならないことが……あって」
その躊躇いがちな口調だけで、レンは全てを悟ってしまった。ついに、この時が来てしまった。分かっていたはずなのに、心がざわめき始める。それを悟られぬように、無理矢理唇の端を吊り上げて笑みを作った。声をイメージする。できるだけ、そうできるだけ、いつもと同じトーンで。上擦ったりしないように。
「おめでとう、真斗」
はっと、真斗が鋭く息を呑む気配がした。振り返られてもいいように、レンは笑みを維持し続ける。こういう時に限って、表情筋が引きつりそうなくらい硬い。ままならない自分の身体を、忌々しく思った。
真斗の目は大きく見開かれていた。
「どうして……」
「オレをその辺の鈍い男たちと一緒にしてもらっちゃ困るね。お前のことなら、手に取るように分かる」
「レン……」
真斗の表情が陰る。まるで今にも泣き出しそうな横顔。レンは胸を衝かれて、思わずきつく真斗を抱き締めていた。真斗の身体は、レンが力を入れれば壊れてしまいそうなくらい、細く感じられた。このままさらってしまいたい。けれどもそれは叶わない。ぎりぎりのところで理性のブレーキをかけて、レンは言葉を続ける。
「良かったじゃないか。お前はこれから、もっともっと幸せになれる」
「……何、を……!」
絞り出すような真斗の声が辛い。
「夢の時間は終わりってことさ。楽しかったよ、真斗」
早口でそう言った。言葉を噛み締めている時間が長ければ長いほど、涙を誘われてしまうからだ。そのまま真斗の身体を手放そうとした途端、真斗が急にレンの腕を握って、自分の方に手繰り寄せようとしてきた。
「真斗」
真斗の目は伏せられたままだ。
「俺は、お前のそんな言葉が聞きたいわけじゃない……のに……!」
目尻に涙が浮かんで、そのまま白い頬を伝って落ちていく。
真斗はずるい。レンは心底そう思った。真斗は泣ける。レンを惜しむ言葉を言える。だがレンにはそれができない。どんなに真斗を欲しいと思っても、どんなにさらいたいと思っていても、それを口にした途端、全てが崩壊してしまうからだ。
真斗は自分より年下で、成人して大人のふりをしていても、自分の前ではまだ少し幼い。年上の自分がストップをかけなければ、悲しみの連鎖はどこまでも繋がって、断ち切れないまま堕ちてしまう。それではいけないのだ。真斗は幸せにならねばならない。レンは誰よりもそれを願っている、だからこそ。
「おいおい、何故泣くんだ。これからたくさん、めでたいことが待っているじゃないか」
真斗の顔が、静かにレンの胸に押しつけられる。胸板を伝う熱い涙を感じながら、レンは参った、と頬を掻いた。
やがて、真斗の口からぽつりぽつりと言葉が出る。
「……俺は……この運命に抗いたいんじゃない。お前に連れて行ってくれなんて言うつもりもない。ただ……お前がそんな顔で、そんなことを言うのが耐えられない!」
レンはふたたび胸を衝かれて、黙っていた。真斗はやはりずるい。そう思いながら、敢えて冷えた声で言葉を紡ぐ。
「なら、オレもお前みたいに泣いた方がいいのかい? 行かないでくれ真斗、オレと一緒にいてくれ――そんなことを言って、お前に縋れって?」
「それは……!」
「お前の欲しい言葉が、必ずしもお前を幸せにするわけじゃないってことだ。それくらい、もうお前にも分かるだろう?」
真斗はがくりと項垂れた。その瞳にまた涙が宿るのを見ながら、レンは唇を噛み締めた。目が潤みそうになるのを必死で耐える。
何も気にしなくていいのなら、この心に従って真斗を連れて行きたい。何の枷もない世界に、二人で逃避したい。だがそれは叶わぬ願い。レンも真斗も、そうなることを心底望んでいるわけではない。レンはともかく、真斗は捨てられないものをたくさん抱えすぎている。それを知った上で、レンは最善を選択しようとしているのだ。
聖川財閥の跡取りとなり、妻を娶って次の世代を産み育てる。それが真斗の生まれながらにして課せられた運命であり使命なのだ。真斗はその決められた運命に、二度抗った。一つはアイドルとなるために、早乙女学園に入学したこと。そしてもう一つは、対立する神宮寺財閥の三男坊、レンと関係を持ったこと――
人の思いは簡単に断ち切れるものではない。けれど、とレンは思う。時間が解決してくれるものもあると、レンは知っている。願わくば、真斗のこの心の揺れ動きを、時間が解決してくれますように。
「オレはお前の一生に、一度だけ傷跡を付けた」
真斗を再び、強い力で抱き締める。
「それだけで十分なんだよ、オレは」
真斗の心の安寧のために、その傷跡が風化しますように。そう願う一方で、自分の付けた傷跡が、永遠に真斗の心に残り続ければいい。そう願う自分もいて、レンは激しく葛藤した。葛藤のあまり、真斗が息苦しいと喘ぐまでに、彼をきつく抱き締めてしまう。
「式は、いつなんだ」
「……まだ、決まっていない」
真斗が嘘を吐いていると、レンは瞬時に悟った。レンに告げなければならない段階まで来ているのに、式の日取りが全く決まっていないなんてことは有り得ない。
「そうかい。お前のタキシード姿、見てみたいな」
「……お前にだけは見せたくない。お前にだけは」
ぎゅっと唇を噛み締めて上目遣いに睨む真斗を見ながら、レンは苦笑した。どうあっても呼ばないつもりか。それがレンのためになると思っているのか、それとも自分の心の安寧のためか――
「真斗」
微かに赤く染まった耳朶に唇を寄せて、レンはそっと呟いた。
「Ti amo da impazzire. Non posso accettare di perderti.」
え、と真斗の声が零れる。
「今、なんて」
「これから財閥の当主になる男が、イタリア語の一つや二つ喋れないなんて損だぜ、聖川」
さっきのは宿題だ。にい、と唇の端を上げて、レンは微笑んだ。真斗の戸惑ったような顔を小気味よくも、少し寂しくも思った。
教会の前、よく晴れた秋の日。色づいた枯れ葉が風に舞い、地面に落ちた花束を覆う。真斗は白いタキシード姿で、レンは黒いスーツ姿で、それぞれ対峙していた。
「酷いじゃないか。イッキやイッチー、シノミーにおチビちゃん……みんな呼んでるってのに、オレだけ呼ばないなんて。仲間外れは寂しいな」
レンが冗談めかして言うと、真斗が怒ったように低い声を出す。
「……お前の顔だけは、見たくなかった。見たくなかったのに……」
「ハハ、嫌われたもんだ」
肩をすくめると、真斗が拳をぎりと握り締める音が聞こえた。
沈黙が下りる。レンはポケットに手を入れて、笑顔を貼り付けたまま真斗を見つめていた。式には間に合わなかったものだから、レンは真斗の相手の顔を見ていない。けれども想像が、幾度も心を巡った。あの真斗が微笑みながら、女性の手を取って、白いヴェールを持ち上げてキスをしたのだ――そう思うだけで、レンの胸は張り裂けそうになる。まるで恋に慣れない少年が、恋という感情そのものに身を焦がす時のように。
「そういえば」
真斗が沈黙を破った。
「お前のふざけた宿題……答えが、わかった」
レンは思わず目を見開いた後、柔らかく笑って嘘を吐いた。
「そうかい、それは良かった」
正直、宿題のことなんてすっかり忘れていた。記憶の糸を手繰り寄せ、その答えに辿り着く。わからないまま置いておいてくれれば良かったのに、と心の中で苦笑した。未練たらたらな男の台詞。捨てきることなんてできないのだ。真斗も、そして自分も。
真斗はすう、と息を吸った後、思いがけない言葉を放った。
「Sei sempre nei miei pensieri e nel mio cuore.」
レンの目が大きく見開かれる番だった。信じられない思いで真斗を見つめる。
「聖川、お前……」
「“あなたはいつも私の想いの中、そして心の中にいる”」
真斗はすらすらと、その訳語を口にする。
「――それが、俺の答えだ」
くるりと背を向けて、真斗が教会の中へと戻っていく。その後ろ姿を見ながら、レンはいつの間にか涙を流していることに気付いた。今の今まで、一度も流したことはなかったのに――レンはフッと笑って、項垂れた。
誰にも泣いているところを見られませんように――ただそれだけを願いながら、真斗の言葉を何度も何度も反芻した。
Ti amo da impazzire. = 狂おしいほど愛してる
Non posso accettare di perderti. = 君を失うなんて耐えられない
以前書いたレンマサ三部作のその先の一つの形、というか。ここだけで終わると悲恋ですが書いておきたかった。
カッコつけてイタリア語なんぞ使ってみたんですが不自然だったらすみません(2011.8.28)