音トキ連載の後日談みたいな。トキヤさんはいつも不安で仕方なくて音也に「私のどこが好きなんですか」って聞いてたらいいよ(2011.10.1)
「トーキーヤっ」
突然後ろから抱き締められて、トキヤの心臓が高く跳ねる。そのまま音也が顔をぴたりとくっつけてきて、課題をしていたのに、と注意するつもりが、言葉が全て脳内から飛んでしまった。
音也がスキンシップ過多なのは、何も今始まったことではない。普段から相手との距離を置きがちなトキヤは、最初大いに戸惑いを覚えたものだった。何ヶ月か同じ部屋で生活して、少しは慣れてきたように思うのだが、先程のような不意打ちは反則だ。トキヤは僅かに後ろを向いて、音也を睨む。
「音也。いきなり抱き付かないでください」
「へへ、ごめんごめん。だってさ、俺達恋人同士だし、これくらいいいじゃん」
恋人、という言葉に、トキヤの心が揺れる。先日のことを思い出して、頬に血液が集まってくるのを感じた。音也とはつい先日、思いを確かめ合ったばかりなのだ。音也を意識するようになってから今の関係に至るまでさほど時間が経っていないから、まだ色んなものに対する免疫が出来ていない。
こうした音也のスキンシップを嬉しいと感じる一方で、未だにトキヤの中では、戸惑いや不安な気持ちが同居していた。小さく息を吐いて、音也の無邪気な笑顔を眺める。
「本当に物好きな人ですね、あなたは」
「え? 何が?」
「一体、私のどこが……そんなに好きになったんです」
言葉の最後はだんだんと小声になってしまう。この上なく恥ずかしかったが、どうしても聞かずにはいられないことだった。
今までトキヤは、こんなふうに真っ直ぐに他人から愛情を向けられたことがなかった。好意を寄せられることがあって、それに応えたいと思っても、態度の崩し方が分からずに疎遠になってしまうことも多々あった。人付き合いに関しては、自分はすこぶる不器用であるという自覚があった。
今だって、一応思いを確かめ合って恋人同士になった後だというのに、音也への態度を崩しきれない。そんな自分に、音也がいつ愛想を尽かさないとも限らないのだ。あの素直な好意がいつか自分に向けられなくなってしまうかもしれないと思うと怖い。けれど羞恥が邪魔をして、態度を崩すこともできない。不安の波が心に何度も打ち寄せ、トキヤを苛んだ。
そんな不安を払拭するように、音也が無邪気に笑った。
「そんなの、決まってるじゃん。全部だよ」
「全部……では、答えになってません。もっと具体的に」
「ええー。そんなこと言われても、全部は全部だよ。トキヤがトキヤだから、好き」
音也の腕の束縛が強くなるのと同時に、トキヤの鼓動の速さも加速していく。音也は自分の胸をトキヤの背に押しつけて、ねえ、と耳元で囁くように言った。
「俺の鼓動の音。聞こえる?」
言われて、トキヤは否が応でも背から伝わる鼓動を意識する。一定のリズムで刻まれる鼓動が、普段のそれよりも速いということだけははっきりと分かった。
「俺がさ、こんなふうにドキドキするの、トキヤと一緒にいる時だけだから」
殺し文句だった。トキヤの鼓動が一瞬にして高くまで跳ね上がる。なっ、と、声にならない声を発したところで、固まったまま動けなくなってしまった。それなのに音也はお構いなく、追い打ちをかけてくる。
「トキヤは? トキヤも俺と一緒にいるとドキドキする?」
否定したくても、この状況ではできるはずもなかった。鼓動は忌々しいほどに正直だ。いつも理路整然としているはずの頭の中がこんがらがってしまって、上手く言葉が紡げない。
「わ……私は……」
「へへ、確かめちゃおっと」
音也はそう言うと、後ろから腕を伸ばしてトキヤの手首を掴んだ。ゆるりと指を当てて、脈拍を確認する。
「あ、すごい。ドキドキしてる! 俺がこうしてるから?」
ぎゅ、と音也が抱き締めてくる。トキヤは顔を背けたまま、何も言えずにいた。心臓が破裂してしまいそうだ。ライブの本番前でもこんなに緊張したことはなかったのに、何故音也の前ではこうなってしまうのだろう。
「トキヤも聞かせてよ。俺のどこが好き?」
期待のこもった声が聞こえてきて、トキヤは再び縛られたように動けなくなる。
「そ……それは、あなたがちゃんと具体的に言ってからです」
「えー。そんなこと言ったって、俺、あんまり考えたことなかったな、そういうの。だってトキヤはトキヤだし。トキヤじゃなかったらこんなにドキドキしてないし、きっとこんなふうに好きになることって、なかったよ」
それが最上級の愛の言葉だということは理解していた。何も考えられなくなってしまうくらい嬉しいことだということも。けれど、と、トキヤの中の欲張りな心がそれを素直に認めることを良しとしなかった。心の中はまだ不安でたまらないのだ。音也はいつまでも、自分にこんなふうに愛情を真っ直ぐに向けてくれるだろうか。
「……どこが、いいんです」
ぽつりと呟かれた言葉に、え、と音也が戸惑いの声を上げる。
「私は……自分でもあまり愛想の良い方ではない、ということは自覚しています。あなたに対して、辛辣な言葉をいくつも口にしてきました。今だって……そうです。それでもあなたは、私がいいと言うんですか」
しばしの沈黙。その痛みに耐えかねて目を瞑ったのと同時に、耳元から声が聞こえた。
「うん。トキヤじゃないと嫌だよ」
「どうして」
「だって、トキヤは本当はすごく優しいから。俺のことちゃんと考えてくれてるから、俺のためになるって思ってくれてるから、厳しいことも言うんでしょ? 愛想が良くないって言うけど、ほんとは素直になれないだけだと思うし。俺はそういうとこも含めて、トキヤが好きなんだ」
頬がかあっと熱くなった。望んでいたこととはいえ、改めて言葉にされると気恥ずかしいものがある。
音也が再び、耳元に囁きかけてくる。
「俺は今のままのトキヤも大好きだけど、もうちょっと素直になってくれたら、すごく嬉しいかな」
ぞくん、と身体が震える。それは、トキヤ自身もちょっぴり望んでいたことだったけれど。
「……できる自信は……あまり、ありません」
「そうなの? なんで? 俺達、もう恋人同士じゃん。あっ、それとも……」
音也が不安そうな声を出す。
「俺のこと、ほんとは嫌い?」
トキヤは即座に首を横に振った。一拍おいて、頬を赤らめ、
「私が素直になれないのは、」
「なれないのは?」
「あなたが……好き、だからです」
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で言うと、音也はトキヤの耳朶に軽く口付けをした。
「なっ、お、音也……!」
抗議めいた声を出して身体ごと振り向くと、音也がえへ、と笑った。
「トキヤがそんな、可愛いこと言うからだよ」
頬を人差し指で突かれて、トキヤはますます顔を赤らめる。
可愛い、と言いながら、音也はそっとトキヤの唇を塞いだ。トキヤは一瞬目を見開いたが、すぐにそれに応じた。少し上を向いて、薄い皮膚を擦り合わせる。
「んっ……」
音也の唾液がトキヤの唇を濡らす。食むように唇を動かして、互いに求め合った。初めてお互いの気持ちを確認し合った時のように、こうしている時間が、トキヤにとって最も安堵できる時間だった。
顔を離して、音也は濡れた唇を動かす。
「怖くないよ。俺、トキヤのこと全部受け止めるから」
正面から抱き締められる。
「だから俺に、素直なトキヤを見せて。トキヤを全部見せて」
トキヤの腕が自然と持ち上がる。音也の背に手を回し、目を閉じて、自分の側に引き寄せた。
「……善処、します」
うん、と満足そうに笑う音也の声が、ひどく心地よいものに聞こえた。
音トキ連載の後日談みたいな。トキヤさんはいつも不安で仕方なくて音也に「私のどこが好きなんですか」って聞いてたらいいよ(2011.10.1)