「おやすみ、那月」
 そう言って電気を消し、布団に潜り込んだ直後、そっと掛け布団が持ち上げられる気配がして、翔は驚いた。おずおずと翔のベッドに潜り込んでくる主が那月であることは容易に想像がついたけれど、翔の頭の中には疑問符が踊ったままだ。
「那月お前、なんで」
「翔ちゃん。ね……しよう」
 いつものように後ろから抱き締められて、翔は鼓動の高鳴りを感じながらもまだ驚きを隠せない。僅かに振り向いて、那月の顔を見ようとする。電気を消したばかりで慣れない翔の目にも、那月のどこか切なげな表情ははっきりと映った。
「お前、今日遅くまで練習して疲れてんだろ。無理すんなよ」
「無理……じゃないよ。だって、毎日してるでしょう」
「……っそれは、そう、だけど……」
 思わず赤面すると、那月がますます翔の身体を強く抱き締めてきた。
「翔ちゃん、お願い」
 翔は溜息をついた。とはいえ、自分も嫌というわけではないのだ。きちんと力加減さえされていれば、こうして抱き締められるのも嫌いではないし、那月に触れるというだけで心の熱くなる自分を、とうの昔に自覚してもいた。
 翔は観念し、シーツの上でもぞもぞと動いて、那月と向き合う格好になった。
「……仕方ねえなぁ」


 首を伸ばして、那月の唇と自分のそれを重ね合わせる。すぐにその口から那月の艶めかしい息遣いが洩れ、翔は貪るように那月の唇を幾度も幾度も食んだ。那月もそれに応えて、求めるように舌を差し入れる。子猫がミルクを飲むような水音が、寮の部屋に響いた。
「んっ、ん……」
 舌を絡め、唾液が零れ落ちる。深い口付けを交わしながら、那月の震えるような指が探るように動く。その指はベッドサイドに置かれた明かりを付けた後、翔のパジャマのボタンを少しずつ外していった。
 やがて濡れた那月の唇が、翔の首筋を、鎖骨を、そして胸の突起を甘噛みする。この感覚は、いつまで経っても慣れることがない。強烈な羞恥と、甘く痺れるような快感。こうなったら翔は、もうどうにも動けなくなってしまう。
「……ぁ、なつ、き」
 那月の意外にがっしりとした肩に手を置いて、襲い来る羞恥に耐えるように思い切り握り締める。どれだけ力を入れても、那月が痛い、と言わないのは、少々悔しくはあったけれど。
 無心に貪っていた那月の唇が離れ、緩やかな吐息が漏れた。翔は羞恥の大波が来ることを覚悟して、きゅっと身体を縮こまらせる。こういう時、那月は大抵無邪気に笑いながら、『翔ちゃんは可愛いですねぇ』といつもの調子で言うのだ。加えて時折、翔の胸の突起を何かに喩えたりする。一昨日の夜は、さくらんぼ。その前の夜は、いくらだったような気がする。
 けれど――覚悟していた翔の身体に再び響いたのは、那月の声ではなく、那月の舌が動く音だった。那月は何も言わなかったのだ。
 翔が意外に思って視線を下げると、那月の表情がいつもより硬いように思えた。翔の身体を愛撫するのも、いつものように楽しそうに愛おしむようにというよりは、どこか必死な仕草にも見えて、翔は違和感を感じた。
 掛け布団をすっかり取り払って、那月は翔の上に跨る格好になった。見下ろされるのは好きではない。どうしても那月と視線を合わせたくなくなる。すると那月が翔の頬に手を添え、無理矢理正面に押し戻した。翔は思わず目を見開く。
「那月……?」
 那月はどこか悲しげな表情を浮かべていた。
「翔ちゃん、僕のこと、ちゃんと見て」
 震える唇から発せられた言葉を、痛々しいと感じた。明らかにいつもの那月とは違う。翔が疑問を口に出す前に、再び唇が那月によって蹂躙された。
「ん、っはぁ……っ」
 繰り返し、繰り返し、僅かに角度を変えて甘噛みされる。酸素を求めるように喘ぎながら、翔は未だ抱いた疑問を手放せずにいた。どうして那月は、今日、こんなにも必死なのか。自分をひたすらに求めてくれるのはいつもと同じだけれど、こんなに一心不乱になったことは今までない気がする。
「翔ちゃん、僕、我慢できないよ」
 那月はそう言うと、素早い仕草でパジャマを脱ぎ捨てた。下も全てベッド下に脱ぎ捨てると、既に大きくなった那月自身が見えた。
「那月、お前……っ」
 もしかして、必死の理由はこれだったのだろうか。男は疲れたときにこそ性欲が増すということがよくあるが、那月も――そう思いかけて、しかしそれだけでは解せないと、翔は内心首を振った。那月がセックスの誘いをしてくる時、いつも彼の声は明るい。あんな切なげな表情を見せることもなければ、翔に必死そうな言葉を投げかけることもない。
 那月に一体何があったのだろう。そう考える間もなく、翔も衣服を完全に剥かれ、剥き出しの穴を繊細な指で蹂躙される。
「ぁ、っく……なつ、き」
 何を考えていても、こうされると結局勃ってしまう自分の素直さが憎らしい。那月の指は柔らかく、しかしいつもよりも性急に翔を解した。
 やがて那月のそれが宛がわれたのが分かった。翔の腰がびくんと震える。
「翔ちゃん、いい、いくよ」
 直後、翔の中が那月でいっぱいに満たされた。顔を歪めながらも、那月に腰を動かされると、痺れるような快感を覚えてしまう。その上、那月の動きはいつも以上に激しいものだった。腰を何度も打ち付けられて、その度に翔は声を我慢できなくなる。
「っ、く、ぅうっん……なつ、き、おまえ、早いっ、て……」
「だって、だって僕、翔ちゃんが欲しくて、欲しくて」
「っ……! なんでそんな、必死、ぁっ、んんっ……もう……っ」
 下半身を襲う強烈な快感に耐えられず、翔は自分のペニスに手を伸ばしていた。楔のように腰を打ち付ける那月を感じながら、ゆるゆると手で扱く。すると那月の動きが、先程よりも早くなった。眼鏡の奥の瞳が、何かを必死に訴える。
「翔ちゃん、一人でいかないで、僕も……!」
「ぅっ、ぁあ――っ!」
 翔の白濁液が那月の下腹部に飛び散るのと、那月の温かいものが翔の身体に流れ込んでくるのとが同時だった。蛇のように動いて熱の塊を放出する自身を見ながら、翔は放心状態に陥っていた。那月は肩を上下させ、荒く息を吐き出していた。


 一通りベッド周りの処理をして、シャワーを浴びた翔を待っていたのは、フリルとレースの付いた可愛らしいドレスを持った那月だった。翔が女装アイドル小傍唯として活躍していた時の衣装だ。下半身にタオルを巻き付けたまま出てきた翔は、それを見て面食らったまま、動けなくなる。
「お、お前、なんでそれっ」
「翔ちゃん、あのね……これ着て、もう一回、しない?」
「はぁああ!?」
 夜中だというのに大声を出してしまい、翔は慌てて口を手で覆う。
 那月の表情は、未だ冴えないままだ。大抵こういう衣装を着せようとする時はかなり乗り気で、笑顔のまま問答無用で押しつけてくるというのに。
 翔は自分を抑えて、怒鳴らずに那月の瞳を覗き込んだ。金緑石の瞳は、すっかり輝きを失ってしまっていた。なるべく優しい声で、問う。
「なあ、那月。お前今日どうしちまったんだよ。なんでそんな、悲しそうな顔するんだよ」
 那月は答えない。逃れるように逸らそうとする瞳を、翔はしつこく追って捉える。
「なあ。怒らないから言ってみ? 何があったんだよ」
 那月は僅かに視線を上げて、かろうじて翔と目を合わせた。
「これを着てしたら、翔ちゃんのお腹に、僕と翔ちゃんの赤ちゃんができるかもしれないと思って」
 ある程度覚悟を決めていたはずの翔だったが、さすがにこの答えは面食らった。那月は天然で常識とずれたところが多々あるが、少なくとも最低限の知識は持っているはず、と思っていたのだが。
「那月、あのな、お前は男だろ? で、俺も男だよな。どう頑張ったって、それは無理だ。分かってんだろ?」
 那月はしょんぼりとした表情で、うん、とゆっくり頷いた。
「知ってるよ。だからこそ……」
「だからこそ?」
「確実なものが、欲しくて。僕と翔ちゃんを結びつけてくれるものが」
 そう言って、那月はそっと翔の頬に触れた。
「もし、翔ちゃんが女の子だったら、」
「――とか言ったらぶっ飛ばすぞ、那月」
 翔は思い切り那月を睨み付けた。那月は驚いたように少し後ずさる。
「なんでお前が不安になってるのか知らねえけど。俺がお前と離れるわけないだろ」
 今度は翔が那月の頬を撫でると、那月はゆっくりと目を見開いた。
 確実なものなんて何もない。それはその通りだ。人と人との繋がりなんてそんなものだろう。だからこそ、身体を交えて確かめ合う。それはあるが、何もその行為が必須というわけではない。言葉を交わすだけでも、触れ合うだけでも、分かることはいくつもある。
 少なくとも翔は那月と触れ合う度、見えない繋がりを心の中で無意識に確かめて安堵していた。那月はきっとそれだけでは足りないと感じたのだろう。那月が毎日翔をセックスに誘うのは、翔を繋ぎ止めておきたいと思うからなのかもしれない。そのこと自体は単純に嬉しいけれど、と翔は思った。不健全な考えは、正しておいてやるべきだ。
「那月は俺を信じてねーのか?」
「違います! 僕は翔ちゃんのこと」
「だったら信じろよ、俺のこと。何ならここで、絶対離れねえって約束してやる」
 翔が強気に小指を出すと、那月もおずおずと小指を出し、ゆるりと絡めた。
「……だいたいな」
 翔は赤面しつつ、俯きながら呟くように言う。
「人の初めて奪っといて、そっちこそこのまま逃げたら承知しねーんだからな……」
「僕も、翔ちゃんが初めてです。ふふっ、一緒ですね」
 ようやく那月の表情に普段の明るさが戻ってきて、翔は安堵した。繋がった小指に力を込めて、那月に力強く宣言する。
「じゃあ、俺も男らしく責任取るべきだ! だろ? 離さねえよ、那月。離したく、ねーんだ」
「僕も……僕も、翔ちゃんとずっと一緒にいたいです。ぎゅってしていいですか?」
「力、加減しろよ」
「うん。ああ、翔ちゃん、やっぱり大好き」
「ッ、痛っ、やめ、やめろ那月! おま、人の話聞けよ――!!」
 加減しろと言ったそばからこれだ。それも那月らしい、と、翔は幸せな痛みに耐えながら、那月の腕の中で笑っていた。


過去のトラウマから翔ちゃんをセックスで繋ぎ止めようとするなっちゃんが思い浮かんで(2011.11.17)