どうにかこうにかやっと結ばれた二人。火神くんの乳首攻めが書きたかったのは内緒(2012.9.16)
――突き放すのは、オレが臆病者だからだよ、タイガ。
「オレはゲイなんだよ」
息をするようにさらりと吐き出されたとんでもない言葉に、火神は呆気にとられて思わず箸でつまんでいた鶏肉を落とした。
対する氷室は、何事もなかったかのように、火神が作った鶏肉と野菜の炒め物を口に運ぶ。ただ炒めただけだと火神はいつも言うが、この絶妙な塩加減といい、炒め具合といい、このセンスは天性のものなんだろうなと氷室はつくづく感じていた。
目を見開いたまま固まっている火神に、氷室は柔らかな笑みを送る。
「うまいよ、タイガ」
「……っ、じゃねえって! な、なんだよタツヤ、今のっ」
「今の? 何だい?」
「だ、だから! ゲ、ゲイとか、その……」
火神は微かに頬を赤らめて俯いた。
何の冗談だよ、と笑い飛ばされそうな気もしていたのだが、言葉のインパクトのあまりの強さに丸呑みせざるを得なくなってしまったのだろうか。その言葉を口に出すのも憚られるといった、初心な弟分が愛おしい。アメリカにいた頃、そういうカップルがいるのを何人も目にしてきたはずなのに、一体この初心さはどこから来るのだろう。奴には本当にバスケしか見えていなかったんだろうか。そう思うと、氷室の心の中で一段落したはずの彼への嫉妬が、ちりちりとくすぶる。
ここ数日間来日していたアレックスを空港まで送り届けた後、秋田に帰らなきゃな、と呟いた氷室を、火神が引き留めてきた。今から帰ったら遅くなるし、オレん家、来れば。誰もいねぇし、と、とても軽いニュアンスで言った火神に、氷室は微かに眉を顰めた。火神はその言葉が、氷室にとってとても重い言葉であることを知らない。だからそんなふうに、ただの男友達を誘うときのようなニュアンスで言える。
それでも誘いに乗ってしまったのは、結局のところ自分も彼と同レベルの人間だったということだろう。
簡単なヤツしか作れねえけど、と言いながら鶏肉と野菜の炒め物、豆腐とわかめの味噌汁、炊きたてのご飯の並んだ食卓を見て、氷室の胃袋は素直に反応した。うまそうだ。そう言うと、火神が微かに照れくさそうに笑ったのが、目に焼き付いている。
舌鼓を打ちながらも、胃袋が満たされ始めると、氷室の思考は別の場所へと飛ぶ。この数日、アレックスと共に滞在した部屋。一人で住むには広すぎるし、人が住んでいるにしてはあまりに殺風景だった。その部屋の主――目の前で自分よりも大盛りの食事をがつがつと食べている火神大我のその部屋に、二人きりでいるという事実を考える。非日常は、普段ならば働いているはずの氷室の理性をも狂わせた。
火神の反応は、氷室にとってはある種の心地よさすら感じさせるものだった。幼い頃からずるずると引きずり続けてきたこの表面上の関係に、いい加減終止符を打ちたい。そう願い続けた氷室を満足させるには、十分だった。
「オレと兄弟であることを、やめたくなっただろう」
氷室は笑みをこぼした。向こうでゲイカップルの差別が激しかったことも、火神は知っているはずだ。生まれた戸惑いをそのまま肯定して、素直に頷いてくれればそれでいいのだ。それでも火神は、しつこくしがみつこうとしている。
「それとこれとは話が……話が、違うだろ」
火神の箸の先が行き場所をなくして、宙をくるくると踊っている。
「違わない。ゲイは罪深いんだよ」
「なんで……なんでいきなり、そんなこと言うんだよ。タツヤ、正気なのか……」
「ああ、もちろん」
こわくなっただろう。氷室は未だ動揺を隠せない火神に柔らかく笑いかけた。
「タイガ、わかるよな。ゲイと二人きりで、この部屋にいるということの意味が」
火神の背筋がぴくりと震えた――気がした。
笑みを浮かべ続けるのは得意だった。子どもの頃からいつだってそうしてきた。そうすれば同世代の友人たち、それ以上に、親や先生といった大人に、無条件で信用され、褒められ、可愛がられた。そうすれば無難に生きていけるということを、氷室は無意識に学んでいた。
そんな自分が首から下げたシルバーリングのチェーンを力任せに引きちぎり、他人の前で激昂したのは、火神大我――この男の前が初めてだったと、氷室は今更のように思い出す。
氷室はじっと火神を見据えた。恐れおののけばいい。既に兄ではない自分という存在に。その太く逞しい腕を振って、自分という存在を視界から追い出してしまえばいい。そうしてくれることを、氷室は心底望んでいた。なのに。
「……それでも……オレは、タツヤ、アンタのことを……」
みなまで言わずとも、その言葉が指し示す意味はよく理解できた。氷室は望んだ結果にならなかったことに、心底絶望した。火神はわかっていない。氷室を拒絶しないということが、どういう意味なのか、わかっていない。
「それが、タイガ……お前の選択なのか」
冷え切った地を這うような声で、氷室は問う。火神の喉が震えて唾を呑み込む音が、静かな室内に響いた。ややあって、彼は肯定をする。軽く首を縦に振る――それが、合図だった。
「タイガ、」
氷室は立ち上がって、素早く火神の前に立ちはだかった。驚いたように氷室を見上げる火神に、有無を言わせぬ動きで覆い被さる。どん、と彼の頭が床に到達して、鈍い音が響いた。
「タツヤ、ッん――!」
火神が何か言う前に、氷室はその唇を塞いだ。抵抗しようとする腕を左手で押さえつけ、右手で彼のシャツを乱暴に引き上げてやる。誰にも侵されたことのない聖域がここにあった。氷室は頭が沸騰しそうになるのを感じていた。
火神の唇を強く吸い上げ、唾液の音をいやらしく響かせた後、その唇を素早く、平らな胸の突起へと移動させる。軽く歯を立てると、火神の身体があからさまに反応した。
「っ、タ、ツヤ……やめ、っ……」
火神はなおも抵抗を試みているが、本気ではない、と氷室は悟った。拒もうとしているのに、彼の本能はどこかで拒むことを恐れているのか、それとも拒みたくないと無意識の領域で願っているのか、どちらにしても甘い、と氷室は目を細めた。
舌で転がし、唇を立てて吸い付く。おそらくは初めての感覚だろう。既に勃ち上がり始めているそこを刺激するよりは、きっと効果的だ。このバスケバカでも、自分で性欲処理くらいはするだろう。他人の手に触れられるのは初めてでも、既にその快感をある程度知っている場所よりは、未知の場所の方が、きっと戸惑うだろうし、恐れるだろうし、快感も倍増しされるに違いない。
氷室の予想は、果たして当たっていた。軽く視線を上げると、唇を噛んで吐息を洩らすまいとしている火神と目が合った。
「っふ、ん……くっ……」
もう片方の突起を、空いた指の腹で転がしてやる。二つの場所を同時に攻められた火神が、僅かに身体を浮かせ仰け反った。
「っぁあっ」
素直だ。素直すぎる。氷室はあまりの満足感に深く溜息を吐いた。頬を紅潮させ、快感に必死に堪えているかつての弟分が愛おしくてならなかった。自分はこの顔が見たくて見たくて仕方がなかったのだ。
柔らかな女の肢体でイけなくなったのはいつからだったろう。それと比べてあまりに丸みのない、一枚壁のような大男の痴態を想像して満足を得るようになったのは、一体いつからだっただろう。そんなことを、呑気に頭で考えた。
ある程度満足した氷室は、火神のジャージのズボンに手をかけた。乱暴にずり下ろして、派手な柄物のトランクスの上から、突きだした男性器をさするように刺激する。
「ぁ、やめ、タ、ツヤ……うっ」
手を上下させるたび、火神の腰が何度も浮いた。それと呼応するように、火神の息が上がっていく。彼がウインターカップで見せた“ゾーン”に入る、その一歩手前のような息遣いに、氷室はますます興奮を覚えた。
「オレが怖いか、タイガ。それとも――気持ちがいいか?」
火神の頬が一気に赤みを増した。どうやら図星を指したらしい。フフ、と軽く笑みを洩らして、氷室はすっかり無抵抗となってしまった火神の最後の砦に手を掛け、切り崩した。
ようやく解放されて赤黒く反り返ったそれを、氷室は躊躇いもなく口に含む。火神の目が一気に見開くのが分かった。少し身体を起こし、氷室を見つめて、彼は思いがけない言葉をこぼす。
「バカッ、タツヤ、汚――っ」
こんな時でさえ、自分がどうなるかの心配ではなく、氷室の口が汚れるかもしれない心配をしている。どこまでお人好しなのだと、氷室は心の中で溜息を吐いた。そんな火神だから、一度は激しく憎んだのだ。そして同時に、激しく愛してしまったのだ。
限界まで呑み込んで、唇を先端まで滑らせていく。先走りの透明な粘液が、とろりと氷室の口に零れ落ちた。
「っ、く、……っぁ……」
火神の押し殺した喘ぎ声が氷室の興奮に火を点ける。氷室は無意識のうちに、すっかり膨れ上がってしまったそれを取り出して、片方の手で扱き始めた。無論、口の動きは止めない。粘液を愛おしげに吸い上げて、波打つ血管に舌を沿わせた。
「っは、っ、……はぁっ、はぁ……っ」
激しく手と口を上下させて扱きながら、自分も息が上がっていくのを感じる。限界が近い。それは火神も同じようで、彼の目はいつの間にかとろんとしていて、快感に溺れかけていた。火神の喉から絞り出される声が、徐々に高くなっていく。
「ぁっ、ダメ……だ、も……オレ、ぁ」
氷室は一旦手を止めて、火神に集中した。刹那、火神の腰がいっそう激しく揺れた。
「ッ、タツ、ヤ――っ!」
身体を反り返らせて、火神はどろりとした粘着液を氷室の口腔に放った。直接体内に放り込まれた強烈な匂いと味に驚きはしたものの、氷室は躊躇いなくそれを呑み込んでいた。
どくどくと波打つ血管から最後まで絞り出してから、氷室は唇を離し、顔を上げ、肩を上下させながらぼんやりとこちらを見ている火神の前で、自身を扱いて射精した。なるべく腰を引いたつもりでいたが、僅かながら氷室の放った白濁が火神の萎えたそれに飛び散った。その姿があまりにも淫猥で、氷室の喉元に火神への愛おしさが込み上げ、吐き出しそうになったところで、苦しさに堪えながら、それをもう一度呑み込んだ。
傍にあったティッシュで飛び散った体液を拭き取った後、氷室はまだ呆然としている火神の頬に、自分の手の甲を優しく擦りつけた。
「……すまない。怖かっただろう」
「タツヤ……」
火神の口が、自分の名前をなおも紡いでくれることが、嬉しくてならなかった。
「軽蔑しただろう。兄と慕っていた男が、こんなにも浅ましい欲望を抱いていたなんて」
言いながら、胸が締め付けられる思いがした。数分前まではあんなにも火神に拒絶されることを願っていたのに、今の氷室は火神に拒絶されることを何よりも恐れていた。自分勝手すぎる、と氷室は思う。氷室辰也という人間は、他人のことを考えて動いているような素振りをしながら、本当は自分のことしか考えていなかったのだ。
「軽蔑……してくれ。覚悟は……できている」
覚悟なんてちっともできていないくせに嘘を吐く。俯いた氷室は、息苦しさで窒息するのではないかと思った。
「……一つだけ……聞かせてくれ」
俯いた火神の押し殺したような声が響く。氷室は顔を上げた。
「ゲイってのは……誰でもいいのか。男なら、誰でも、こんなことができんのか」
氷室は俯いて、深い深い溜息を吐いた。
「違う……少なくともオレは、お前と、こうなりたかった。お前のことだけを、ずっと見ていたんだ、タイガ」
思わず涙が零れそうになるのを堪えた。首から下げたチェーンが揺れて、シルバーリングが鈍い光を放った。兄弟の証として分けた二つのリング。何年も経った後も、住む場所が遠くなった後も、心さえも離れてしまった後も、それは二人を繋げ続けた。捨てようと思っても、捨てられなかった。火神と完全に縁が切れてしまうことを、氷室は心の奥底でずっと恐れ続けていたのだ。
「……っ、だったら、なんでっ」
涙声に驚いて、氷室は火神の顔を見つめた。顔を上げた火神の頬には、幾筋も涙の跡があった。彼が人前で泣いているのを見るのは初めてだった。どんな時にも強がって、苦しいことにも堪えてきた、あの火神大我が、こんなにも顔をくしゃくしゃにしているなんて。
「なんで、最初からそう言わなかったんだよ……ゲイだとか、もう兄じゃいられないとか、そんな回りくどいこと、言われて、オレが理解できるわけ、ねぇだろ……っ」
「タイガ……」
氷室は思わず、火神の目尻から零れた涙を人差し指で拭っていた。その途端、呑み込んで抑えつけていたものが溢れ出して止まらなくなった。
「すきだ、好きだ、タイガ、ずっと……ずっと、おまえがほしくてたまらなかった」
言葉が無意識に喉から飛び出ていた。火神の肩がぴくりと震え、頬が微かに紅潮した。くっ、と一度喉が引っ込んで、それから絞り出すような声が聞こえた。
「……オレが……いまさらタツヤを突き放せるわけ、ねぇだろ……今も昔も、ずっと……」
アンタのことを見て、アンタのことを追いかけていたんだから。
氷室は無意識のうちに、火神の唇を塞いでいた。何度も何度も、食むように動かした。
「っは……っ」
酸素を求めて顔を上げた氷室と火神の間を、銀の糸が繋ぐ。
その瞬間、つ、と、氷室の頬に一筋の涙が伝った。
どうにかこうにかやっと結ばれた二人。火神くんの乳首攻めが書きたかったのは内緒(2012.9.16)