部屋の電気を消すと、窓から差し込む月明かりに照らされて、セシルの切なげな表情が浮かび上がる。エメラルドグリーンの瞳がカミュを誘い、唇を物欲しそうに濡らしていた。“据え膳食わぬは男の恥”。日本で覚えたそんな言葉が、ふと脳裏に浮かぶ。
「カミュ……」
 セシルの唇が震えて、自分を求めた。その扇情的な光景に翻弄されている自身に苛立ちを感じながら、カミュはベッドに膝をつき、その唇を食むように甘噛みした。擦れ合う時の生々しい音が部屋に響く。
「……んっ、はぁっ」
 やや息苦しそうに喘ぐセシルの唇を塞いで、カミュは歯列を滑らかになぞった。微かに糸を引きながら離れると、セシルは頬を上気させていた。
「この淫乱めが」
 翻弄されてしまった恨みを込めて罵り言葉を口にすると、セシルは小首を傾げた。
「イン……ラン?」
「そんな言葉も知らんとは。覚えておけ、淫乱とは、お前のような者を言うのだ」
 敢えて詳しくは語らない。きっとセシルは疑問を宿したままだろうが、それでもいいのだ。いくら素直とはいえ、こんなふうに己の思うままに大っぴらに自分を求めてくる人間を、カミュは他に知らない。立場上、人の言葉の裏を読むことに長けたカミュにとって、セシルの真っ直ぐな、あまりに真っ直ぐすぎる言葉は、時に胸を貫いて痛みすら感じさせる。それが悔しくてならなかった。
 共同生活を始めたばかりの後輩を衝動的に抱いたのは、つい先日のことだった。カミュの中で静かに蓄積されていた感情が爆発した結果だった。他人とは馴れ合わない。そのスタンスを貫いてきたカミュが、仕えるべき女王以外の他人にここまで執着したのは初めてだった。その戸惑いと苛立ちがない交ぜになり、しばらく混乱していたが、最近はようやく心の整理がついてきたような気がする。
 今まで心ない言葉をたくさん浴びせてきたというのに、セシルは何故かカミュを拒否することはなかった。それどころか、カミュの行為を受け入れて、もっと、と要求するようになった。欲されるたびに、カミュの眉間には皺が寄った。一つは訳もなく襲われる羞恥のため。そしてもう一つは、それに結局応えてしまう自分への苛立ちのため。
 今もそうだった。自分の寝室に来てくれと言われてのこのことやって来た自分はどうかしている。煽られて口付けをしてしまった自分もどうかしている。頭では分かっているのに、自分自身ですら、この行為を止めることはできなかった。
 衣服を一枚一枚脱ぎ捨てて、セシルは熱っぽい息を洩らした。
「カミュ……アナタを、ください」
「欲張りめ」
 できるだけ冷たく聞こえるように放った言葉すら、もう何の意味も成さない。白いバスローブを脱ぎ捨て、黒縁の眼鏡を外してベッドサイドに置くと、カミュはセシルの中へと身を埋めていった。
「あっ、ぁ、あぁ……カミュ、っはぁ……っ」
 肌を重ねると、自分とセシルが違う土地の生まれの人間であることを強く自覚する。自分の肌は淡雪のように白く、対するセシルは焼きたてのパンのように浅黒い。まだ慣れぬ痛みに耐えて表情を歪めるセシルに、カミュはなるべく優しく口付けを降らせた。こんなふうに他人に触れたのは初めてだった。それも後輩という、自分より格下の人間に。優しくすることはまだ慣れない。けれど身体は自然とそう動いていて、その照れ隠しに、カミュはいくつも棘のある言葉を放ってしまう。
「この程度で音を上げるのか? 軟弱者が」
「……平気、です……だから、カミュ、もっ、と」
「ふん。そんな表情で言われても、説得力など微塵もないわ」
 レッスン中、カミュがどんな無理難題を押しつけようとも、セシルは文句も言わず付いてくる。その根性がこんな場所でも発揮されるなんてと、カミュは内心深く溜息をついた。明らかに無理をしていると分かるのに、そしてそんなセシルを見るのは――自分としてもこのような感情を抱くのは不本意だが――胸が痛むというのに、それでもセシルは自分を求める。カミュがそれに応えてやると、餌をもらった子猫のように、とても嬉しそうな顔をするのだ。
「あぁ、カミュ、すごく……っん、ワタシは、アナタで満たされている……」
 恍惚の表情がカミュを煽り、昂ぶった。セシルを押し広げるように肥大した自身の血流が、今までにないくらい激しく勢いづいていることを自覚する。
「……受け止められぬ、などと、今更喚いても聞かんぞ」
 釘を刺すと、セシルは神妙な顔でこくりと頷いた。それを確認してから、カミュはセシルを欲望のままに揺さぶる。汗が額から流れ落ち、頬を伝った。腰を打ち付ける度に快感が走り抜ける。セシルが腰を浮かし、身体を海老のように仰け反らせた。
「あっ、あ、カミュ、あ、ダメ、もう――!」
「愛島、ッ」
 掠れる声を上げ、カミュはセシルの中に精を放った。セシルは熱に浮かされたようにぼんやりと宙を見つめ、カミュから注ぎ込まれる熱い欲望を、熱い息を吐き出しながら受け止めていた。


「カミュ」
「何だ」
「キスしてください」
 カミュの眉間にさっと皺が寄った。セシルはいけないことをした子どものように、上目遣いでカミュを見つめながら、小さく口を尖らせる。
「……いけませんか?」
 そんなことを言うから、自分はますます止められなくなるのだ――苛立ちを感じながら、カミュはベッドの上で向き合っていたセシルの顎を人差し指でくいと上げた。せめてもの抵抗に、ねっとりと、セシルが息出来なくなるまで唇を塞いでやる。
 艶めかしい水音を立てて、セシルの唇を強く吸い上げる。一旦離れると、唾液で濡れた唇が月明かりに照らされててらてらと光った。
 セシルはそれでもまだ、物欲しそうにしていた。俯いてもじもじと膝の上で手を擦り合わせ、呟くように言う。
「この間……オトヤに、聞きました」
「ほう、何を」
「愛する者には、そのシルシとして、首筋に口付けの跡を刻むものなのだと」
 カミュは細めていた目を一気に開けた。まさかそれを、セシルの側から要求してくるとは思わなかったのだ。セシルは真剣そのものだった。顔を上げ、カミュの瞳を真っ直ぐに見つめてきた。こうされるのが、カミュは何よりも苦手だった。心を貫き、痛みを伴うセシルの視線。何かしなければという思いにさせられる。
「カミュ、アナタのシルシが……欲しい」
 セシルの指先が、自身の首筋にぴたりと当てられる。ココです、と教えるかのように。カミュはしばらくその場所を睨み付けるように目を細めて見ていた。
 セシルと何度肌を重ねても、カミュは決して所有印を刻むことはなかった。自分が敗北を認めてしまうようで悔しかったというのもあるし、何よりそれを考えただけで、強烈な羞恥が襲い来る。カミュはセシルに愛の言葉を囁いたことすらないのだ。白黒付けてしまうことを恐れて、曖昧なものを曖昧なままにしておきたい心理が働いていた。
 カミュが動かずにいると、セシルの瞳が僅かに揺らいだ。
「カミュは……ワタシを愛していないのに、抱くのですか?」
 どうしてそういう訊き方をするのだろう、と思う。YesかNoかで答えざるを得なくなるではないか。
「そんなこと、一体誰が言った」
「カミュは何も言ってくれない。嫌われていないのだということは、なんとなくわかります。でも……ワタシをどう思っているのか、わからない。何も言わないから」
「それぐらい察しろ。愚民めが」
「でも! ワタシは確かなものが欲しい。アナタがワタシを愛しているというのなら、シルシを……ここに、ください」
 セシルのエメラルドグリーンの瞳に一旦見つめられてしまうと、もう逃げられなくなることを、カミュは知っていた。セシルの肩を掴んで引き寄せる。顔を首筋に近づけ、口を開きかけたところで、カミュはあることに気付いてはっとした。
 こんな場所に所有印を刻めば、嫌でも目に付く。自分たちは仮にもアイドルとして、シャイニング事務所に身を置いているのだ。アイドルがこんな場所に所有印を刻み付けるなど言語道断だ。そもそもこの事務所内では、恋愛が禁止されている。それを破っているというだけでも罪深いというのに、これ以上自分の、そして何よりこの後輩の身を破滅に導くことなどしたくない。
 カミュはふっと息を吐いて、顔を離した。カミュの息にびくんと震えたセシルが、やがて不思議そうにカミュを見つめた。
「カミュ……? どうして」
「貴様は自分の職業も忘れたのか」
 冷たい口調で言うと、セシルは軽く首を傾げた。
「ワタシは……アイドル、です」
「アイドルがこんな場所に印を付けて外を歩くなど言語道断。それは何だと尋ねられたら、一体貴様はどう言い訳するつもりだ。まさか馬鹿正直に、俺に付けられた、などと言うわけではなかろうな?」
「それは……」
 想定外だったらしい。セシルは俯いて黙りこくってしまった。カミュは呆れたように溜息をついて、セシルを睨み付けた。
「そこまで考えが至らなかったとは未熟者め。これ以上、余計な欲は出さないようにすることだな」
 カミュが強い口調でそう言って、先程着ていたバスローブを羽織ろうとベッド下に手を伸ばしかけた時、セシルがその腕を掴んできた。顔を上げる。セシルはどうやらまだ諦めてはいないらしかった。
「ワタシ、普段からストールを巻いているから、隠せます。絶対に、人には見せません」
「衣装に着替える時はどうする? 貴様、明日は雑誌の撮影だと言っていただろう」
「なら、首筋に軽く肌と同じ色の粉を付ければ、ごまかせる」
 ファンデーションのことを言っているのだろうと察しがついた。まだ化粧も一人で出来ないセシルに、そう上手く隠せる技術がないことなど、カミュにも分かっていた。
 それでも――カミュにも限界が来ていた。カミュにも心の奥に押し込めた欲望がある。セシルの身体中に所有印を刻んで、自分のものだと主張したい。そんな子どもじみた欲望が。馬鹿馬鹿しいと自嘲することで表層には出ないようにしていたのに、セシルのせいで、その欲望はうっかりと剥き出しになってしまった。
「……後悔しても知らんぞ」
 カミュは再び顔を近づけ、セシルの首筋に唇を沿わせた。息がかかって、セシルの身体が敏感に反応する。カミュはゆっくりと、その場所に唇を下ろした。そのまま、少し強く吸い上げてやる。
 三秒ほどで、カミュは顔を離した。唇を這わせた部分が軽く鬱血して、印が刻まれたのが分かった。それでもだいぶ加減はしたつもりだった。一日もしないうちに消えるように。セシルはカミュの跡を指で押さえて、確認している。
「カミュのシルシ……ここに、ちゃんとついてますか?」
「ふん。この程度、戯れに過ぎんわ」
 カミュはそう言って、セシルの耳元に唇を寄せる。
「貴様の覚悟が揺るぎないものと分かれば、永遠に消えぬ所有印を付けてやる」
 それが、今の自分に吐ける精一杯の愛の言葉。
 セシルは驚いたように目を見開いてカミュを見た。その覚悟は重いものだと、きっとセシルも知っているはずだ。覚悟を決めた時、それは自分たちが今まで持っていたものを全て手放す時だから。
 セシルも、そして自分自身も、容易にできないことだと知っていながら、それでもカミュは試した。セシルが直ちに覚悟を決めることなど望んでいない。ただそれくらい強く、自分はセシルに愛されたかったのかもしれない。
「カミュ、ワタシは……」
「答えなど必要ない。貴様の胸にしまっていろ。……今は」
 容易に愛の言葉を吐くことのできない臆病な自分に苛立ちを感じながら、カミュはセシルに背を向けた。
 目を閉じて密やかに、セシルの身体に永久の所有印を刻む自分を想像して、カミュは深く溜息をついた。


ツイッターの「3つの恋のお題ったー」で出たお題に滾った結果。キスマーク付けようとして躊躇うカミュ先輩萌え!(2011.11.20)